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日本住血吸虫症撲滅の記録 その1
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1993年(平5),山梨県は一地方病(日本住血吸虫症)の撲滅を宣言しました。
世界中で9000万人位の人が苦しんでいますが,特定の地域でこの病気が撲滅できたのは日本だけです。
腹水が溜まって腹部が膨大する水腫脹満病あるいは「はらっぱり」は,明治になっても腹水病や水腫病の名で地方病として認知されても,その原因は不明のままでした。
その後,1904年の虫体の発見で寄生虫症として認知されて治療と予防などの端緒をつくることになりました。
しかし,撲滅のためには90年の月日が必要でした。
この日本住血吸虫の発見は突如としてなされたのではありません。
それまでに至るには長い苦心と宇余曲折の道程がありました。
山梨県や広島県などの有病地で,地元の郷土医師による知見と経験が積み重なって,この病気が寄生虫原因説へと集約されていった結果でした。
とくに,山梨県の郷土医たちは積極的にこの奇病と取り組んでいました。
ここでは山梨県の郷土医たちのこの病気との闘いの記録の一端をお話しましょう。
南に霊峰富士,西に南アルプス,東と北は奥多摩と奥秩父。
これらの山々に囲まれた温和な気候は,大菩薩峠より西流する笛吹川と長野県境から南流する釜無川の水とともに,甲府盆地を農耕に適した豊穰な土地にさせました。
しかし,普段は清やかな水とホタル飛び交う両川は時にはその正体をむきだしました。
武田信玄などかっての為政者たちはこれに堤をつくって土地を守ろうと苦心しました。
が,いかなる宿命でしたか,両川にはさまれたこの肥沃な土地は日本住血吸虫症の有病地で,それにまつわる無残な物語や悲しい記録の数々が古くから残されています。
「中の割に嫁に行くなら,買ってやるぞぇ経かたびらに棺桶」という民謡も,水腫脹満病あるいは「はらっぱり」とよばれ,それに罹ると命がないと恐れられた有病地(北巨摩郡旭村中の割)に嫁ぐ娘たちの悲しい運命を唄ったものでした。
山梨県にはこのような民謡やいい伝えはまだまだあります。
「嫁にはいやよ野牛島は。能蔵池葭水飲むつらさよ」。
「竜地,団子に嫁に行くなら,背負って行け棺桶を」‥。
「水腫脹満茶碗の破片」という諺もあります。
水腫脹満に罹ると,茶碗のかけらと同様に役に立たない廃人となって,多くはこの世を去るという意味です。
近年になっても,「地方病にかかるよりも,ひと思いに爆弾で死ぬ方がまし」,「死ぬときは,みんな地方病」「朝露踏んでも地方病」などといわれていました。
「はらっぱり」の原因がわからず,その対策ができない土地の人々の多くは先祖伝来の運命とあきらめ,この病気が存在することをその土地の恥と考えてとくに外来者にはひたすら隠そうとするのが常でした。
これは有病地に住む人たちの被害者意識からでたのでなく,他の地域の住民から怖れられて差別されていたからで,身に業病の苦しみを受けながらも,恐れおののき頑なに口を閉ざすことだけが有病地住民がとれる唯一の予防法だっ
たのです。
いつ頃から山梨県に水腫脹満病あるいは「はらっぱり」が存在したのかはあきらかではありません。
武田家の滅亡を伝える『甲陽軍鑑』に,重病の小幡豊後守昌盛が武田勝頼に暇乞いにくる場面で,「豊後,巳の年(天正8年)霜月よりわずらい,脹満なれども籠にのり,今年の御いとまごいを申し‥」とあるのは,小幡豊後守昌盛がこの地方病に感染していたとみられています。
江戸時代初期にも,中巨摩郡竜王村(甲府市竜王町)付近で水腫脹満病薬というものが盛んに販売されていたとされるので,古くからこの病気が甲府一帯に蔓延(まんえん)していたことは確かです。
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日本住血吸虫症撲滅の記録 その2
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農事がすっかり片付いた明治7年11月30日昼,巨摩郡大師村(甲府市甲西町)戸長は村内の49戸の世帯主を集めて,離村の懸案をきりだした。
集まった人たちは口々に,水腫病によっておきた災いを嘆き,離村案に賛成した。
集まったのは世帯主といえども,働き盛りの夫を失った寡婦,乳飲み子を残して妻に先立たれた夫,水腫病で両親から兄弟までを失った一人暮らしの若い女,10代で両親を失った若者などだった。
早速,離村陳情書が県に提出された。
しかし,明治の新体制になったとはいえ,居住地を捨てて村ごと他に移住するということは許されるべきことではなかった。
それでも,大師村は明治末になって北部高地への移転が認められた。
このような離村直訴は他村からもだされ,地方病に苦しむ住民のもっていき場のない憤りをしめしたものであったが,病気からいかに逃げるかの算段だけで,病気の本質を捉えたのものではなかった。
医人たちに日本住血吸虫症についての関心をもたせたのは山梨県春日井村(甲府市
春日井町)からの訴えが端緒である。
同村はいずこと同じ農村であるが,水腫病を世に訴えた発端の地でもある。
古くから本病が流行し,患者が後を断たず,恐怖と悲嘆の生活を余儀なくされていた人たちが,ついにそれに耐えかねて山梨県令(県知事)藤村紫郎宛に訴願し,病気の原因解明と対策の指示を請うたのである。
戸長の田中武平太と衛生委員飯島邦寧は,村人たちとくに小松地域の人たちの苦悩をみながら何もできずに,見過ごさねばならなかった苦衷を切実に訴えた。
そもそも原因不明の奇病が自分たちの村にあること自体が気味が悪い。
60戸数の村の東西には病気はないが,中央の小松地区の25-26戸だけに病気がある。
村の略図まで添付して,この奇病が発生する地域を明示した。
願い書は明治14年8月27日付で村役場を通じて県にさしだされた。
大師村が離村という形で問題を提起したのに対し,春日井村は直接病気の原因を調べてくれと請願したのだ。
だが,この御指揮願書を受け取った県は,水腫脹満という名前だけではどんなものだかわからないから,「患者を診察した医師にもっと詳細な病状を書かせて差しだし,今後,新しい患者がでたら直ちに報告せよ」とそっけなく,その後,県がこの病気に対して対応策をだした様子はなかった。
願い書をだした春日井村では,新しい患者がでないまま数年が経過し,明治17年になって患者がでたので,今回はぜひとも検査し今後の処置について指示して欲しいと,2月20日付けで2度目の願い書がだされた。
患者の名前は小沢左衛門,病名は腹水病(水腫病の別名)。
医師による病状の略記が添えられていた。
県は3月15日,桑原道貞係官らを派遣して調査させたが,結論はなにもえられなかった。
彼らが調査したのは,小沢左衛門の生活環境と飲食物に関してだった。
いっぽう,明治19年,徴兵検査のために北巨摩郡と中巨摩郡に出張してきた陸軍三等軍医石井良斎は,1人の肝臓肥大患者をみつけ,さらにその地域の成人男子の体格が不良であることに気がついた。
みな痩せていて子供の背丈ほどしかない。
そして,村の不良飲料水と生活の不適正が特殊疾病(水腫病)と体格不良の原因であろうと推定した。
その後,石井軍医は春日井村を実地調査し,小松地域の飲料水からアンモニ
アと有機物を検出した。
そして,この不良飲料水が水腫病の原因であると,県令藤村
柴郎宛に『徴兵検査巡回中衛生情況』として報告した。
甲府地方は水の便がよく,庭先に手堀りでちょっと掘るだけで水がでる。
その報告書通り,1〜2メートル深さの井戸の周りを,わずかに石で囲った程度では周囲から汚水が入り込む可能性があった。
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日本住血吸虫症撲滅の記録 その3
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水腫病の原因が飲料水であると聞いて春日井村の衛生委員飯島邦寧は驚いた。
村の家々は粗末だが,甲州は水だけが自慢できる。
早速,戸長と相談して県に再検査を依頼した。
県も陸軍主導でなされた調査結果を無視できず,県病院薬局長らを派遣して村全体の水質検査を再度おこなわせた。
彼らは石井軍医の結果に相違して,「多くの水は優良で水腫病の原因とはならず」と復命した。
相反する水質検査結果に春日井村の人たちも戸惑ったが,ともかく水は飲んでもよいということで安心した。
しかし,奇病への不安はいぜん払拭されていなかった。
明治20年2月,春日井村戸長三枝孝市名で藤村知事(同年から県令が知事に改められた)宛に「原因は飲料水でないとのことであるが,小松地域の3〜4割が水腫病であるので,速やかにその原因を突きとめて頂きたい」と3度目の願い書が提出された。
県は要望に答えて,同年5月20日,県病院長と医員に小松地域の水腫病患者数名を検診させた。
両医師は,「はらっぱり」の病状からみて原因は体内にあるとして,患者の糞便検査をおこなった。
その結果,「一種の虫卵累々として現存‥」を確認し,これを十二指腸虫卵(鉤虫卵
)と考えて,水腫病は鉤虫が原因であるとした。
ミミズの仲間(線虫)である約1センチの白色の鉤虫はイタリア人ズビニが小腸と胃の間の十二指腸からこの虫体を最初にみつけたので十二指腸虫と呼ばれている。
わが国では1878年(明治11年)に京都府立医大のドイツ人シャウベによってズビニ鉤虫が発見されていた。
咬器とよばれる歯がついた「かみつき口」があり,小腸の粘膜に咬着して血液を吸い,多数感染で人に貧血をおこさせる寄生虫である。
吸血しながら産卵して,糞便のなかに虫卵がでてくる。
外界にでた虫卵から幼虫がふ化して,幼虫が直接皮膚からあるいは野菜などの食物に付着して口から,人の体内へと侵入する。
感染初期には呼吸器病変を伴うこともある。
感染防止には飲用水や野菜の煮沸が重要である。
糞便のなかに虫卵がでてくるので,顕微鏡で虫卵をみつけだす糞便検査をおこなって感染が確認できる。
県病院長らが調査した当時,糞便検査がようやく一般化した時期だった。
混合感染していた十二指腸虫(鉤虫)の虫卵を検出したものか,日本住血吸虫卵そのものを鉤虫卵と見誤ったかは今では確かめようがないが,いずれにしろ水腫病の原因探究の歴史のなかで寄生虫が表舞台にはじめて登場した。
最初の陳情以来6年も経て,奇病の原因をつかんで欲しいという春日井村民の必死の訴えがやっと効を奏した。
石和(いさわ)村(石和市)の医師吉岡順作も,この水腫病の原因に興味をもっていた。
その思いは春日井村の村民と同じであったが,学究肌の彼は納得のいく医学的な解決を願っていた。
水腫病患者はすべて緩慢に症状が悪化する。
初期には腹痛をともなう血便,そして黄疸が起こり,その後,肝硬変をおこし,後期には腹水が溜まり,肝臓と脾臓が肥大しコリコリと固く触れる。
しかし,貧血になることはない。臨床症状から考えると肝臓もしくは脾臓に原因があることは確かである。
吉岡は漢方などいろいろな薬を患者に試してみたが,どれも効果がなかった。
酒を飲まない人でも発病するので,アルコール性肝硬変ともことなる。
水腫病患者が分布する地図をつくってみると,自分の住む石和村より北では患者は笛吹川支流の流域に沿って分布していた。
後に政治問題にまでなった利根川流域の鉱毒事件が吉岡の頭をよぎる。
甲府には武田家の怨念に似た特別の鉱毒が眠っているのであろうか
。
そんななか,水腫病は十二指腸虫(鉤虫)が原因との報に,吉岡は半信半疑で鉤虫について調べはじめた。
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日本住血吸虫症撲滅の記録 その4
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他の医師たちは患者を水腫病と診断すると,治療をあきらめてこれによる死をあたかも天命のごとく扱っていた。
吉岡順作は,患者に生きる希望と快方の喜びを与えてやれず,なにもできずに臨終をただ看とるなかで,水腫病の原因を医学的に究明するにはどうしたらよいか悶々と考えていた。
ついに,有病地で水腫病で死亡した患者を
解剖して肝臓と脾臓の病変を調べ,その原因が十二指腸虫(鉤虫)によるものか調べることが必要であると考えるに至った。
当時は死刑囚や行き倒れ者などで解剖がおこなわれることはあったが,一般の者は,いくら本人の意思でも,役所の許可がおりなかった。
県病院(山梨中央病院)の解剖であればすぐ許可された。
ただ,この死後解剖は男子からさえも忌み嫌がられているのが現実だった。
生前にそれを申し出た勇気 ある一人の女性患者がいた。
その人の名を杉山仲といった。
杉山仲は西山梨郡玉緒村向(甲府市向町)に生まれ育った。
仲の生年月日は不明である。
仲の育った杉山家は分家で,本家も同じ向のなかにあった。
向は笛吹川の支流 沿いの水田地帯の真中に位置する。
仲は同じ向の戸沢家から武七を婿に迎えて家を継
いだ。
いくら美人賢婦といわれていても有病地以外には嫁ぎ先がなく,なかば同村同族の結婚だった。
それでも,仲は夫武七を助けて農業にはげみ,武七もよく働き,そ
こそこの収入も入り,子供にも恵まれて幸せを感じていた。
しかし,不幸にしてこの奇病にとりつかれたのである。
40過ぎから体調が悪く,臥床するようになった。
原因が分からず,もちろん治療法もなく,仲の病状は進むばかりだった。
肝臓は肥大硬結し,著しく腹水が貯瘤して,典型的な水腫脹満をおこしていた。
吉岡が何度か腹部穿刺して腹水除去したが効果がなく,もはや手の施しようもない状態になった。
仲は死を覚悟した。
そして,この病気の原因究明に役立つのならばと死後の解剖をみずから申し出た。
明治30年5月30日,杉山仲は「死体解剖御願書」を県病院(山梨中央病院
)宛に提出した。
死体解剖御願 西山梨郡清田村第弐百拾六番
戸主 杉山源吉養母
杉 山 な か 当五拾四年
私は,太平の世に生まれ育ち数十年経ちますが,無教育でご主君(天皇)へのご奉公がいまだ叶わずにいるのに重病をわずらい残念におもいます。昨年の29年6月頃より疾病にかかり,さっそく某医師(吉原順作)に診察していただきましたが,病名さえわかりません。また,他の医師たちも同様で,11月からは病気がひどくなったので
,11月下旬に貴院(県病院)で診察していただきましたところ,この地にある有名な地方病でいまだ病原体の発見されていない最も恐るべき病気であることがわかりました。いままでこの病気の患者が数多く発見されておりますが,いずれも原因はわからず,十中八九はみな死んでおります。自分が病床に伏してから1年が経ちましたが,原因がわからず治らない病気ですので,いくら(県病院の)先生方がご尽力なさって
治療をしても,とうてい回復の見込みはございません。もちろん,この病気で死ぬでしょうから,この老婆が死んだ後は自分の体を県病院で解剖し,この病気の原因をつかんで,この後のこの地方病にかかり悩み苦しむ人たちを助けてくださいまし。医学
に捧げる私の遺志を大切にしていただきたくお願いいたし候ゆえ,本日,戸主ならび
に親戚一同が立ち合い署名し,お願いいたし候。
(署名略,現代語意訳,カッコは著 者補足)
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