日本で最も有名な埋蔵金伝説!

 
明治維新の直前、新政府軍に対して最後まで抵抗を試みた旧幕臣の一部が、江戸城内にあった御用金など総額400万両、時価にして数百億円から数千億円を上州へ運んで埋蔵したという。一説に、初めは大老井伊直弼が、開国によって日本の金銀が海外へ流出するのを避けるため、一時疎開したものを、 幕府勘定奉行を務めた小栗上野介忠順らが軍費に流用したともいわれる。
 埋蔵地として、これまで赤城山の麓が有力視され、代々この地に住み着いて探索を続けてきた水野家の人々をはじめ、多くの人が発掘に挑んできたが、まだ御用金は見つかっていない。
 明治時代の半ばごろ、赤城山麓の古井戸の跡から、黄金の徳川家康像が掘り出されたという話もあるが、直後に行方不明になっていて、事実かどうかは確認できない。 また、赤城村深山の双永寺の床下から、埋蔵金のありかをしめす3枚の謎の銅板が発見されたとされているが、これもまた現在は行方不明である。
 なお、赤城山の北方の昭和村、片品村、新治村あたりにも、幕府御用金埋蔵伝説に関連すると思われる、さまざまないい伝えが残ってい て、現在でも広い範囲に探索をされる方が存在している。
 なかでも、平成2年から放送が始まったTBSテレビの「徳川埋蔵金」シリーズでは、前橋出身のコピーライターである糸井重里氏や映画俳優の石坂浩二氏らが、水野智之氏の協力を得て大規模な発掘を行い全国的に話題となったが、埋蔵金はとうとう発見されなかった。  

テレビでおなじみの徳川埋蔵金伝説。企画の中心となった糸井重里氏が書いた発掘の記録。
(「あるとしか言えない」 糸井重里著 集英社刊)

 

 

津久田原での水野家 の挑戦!

  徳川埋蔵金伝説の中で、数多い埋蔵地候補の中で最も知られているのが「津久田原」説であり、そこでは水野家の親子4人が、明治時代から現在に至るまで発掘をつづけている。
 赤城村津久田原説に最初に着眼した水野智義は、嘉永4年(1851)幕臣の三男として出生した。維新後は、東京の日本橋で両替商を営んでいたが、明治8年(1875)もしくは翌年の夏頃、思いもかけない人物から手紙を受け取った。
 手紙の差出人は、かっての隣人であった幕臣・中島蔵人(覚太郎とも)であった。蔵人は慶応4年(明治元年=1868)の「彰義隊の戦い」や「会津戦争」に旧幕府方の小隊長として参加。行方不明となったままであったから、智義は蔵人が戦死したものとばかり思っていたのである。また、蔵人は単なる隣人ではなかった。蔵人は、夫の死後未亡人となっていた智義の母・お静といわゆる内縁関係にあったというのである(注・一説に伯父)。
 智義が蔵人のもとに駆けつけてみると、蔵人は病に冒されており、明日をも知れぬ体であった。その蔵人は、智義に向かって予期せぬ話を始めた。それは、幕府の勘定吟味役であった蔵人が 、慶応4年(注・幕府が滅亡する年)の1月から4月、幕府の要人の指示で甲斐国甲府に赴き、甲府城代の柴田監物とともに甲府の幕府御金蔵にあった24万両を上野国榛名山方面に運び、その地へ隠匿した、というものであった。また、やはり要人の指示を受けた別働隊によって江戸から数百万両の御用金も上野方面に運ばれて隠匿されたはず、と蔵人は続けた。
 蔵人によれば、榛名山の隠匿場所に行ってみたところ、すでにそこは掘り出されていたので、「柴田殿が赤城方面に移したのに違いない」と確信した、という。また、蔵人は「自分は甲州の24万両にだけ関与しており、江戸からの金子については知らない」と語ったとされる。蔵人は智義にこの赤城方面に眠る埋蔵金の発掘を厳命しつつ、息を引き取った。
 そして、明治10年4月(一説に前年3月)から約1ヶ月間、智義は初めて上野に赴き、御用金に関する資料や伝承を渉猟した。その結果、智義は御用金の隠匿に多少なりとも関係があると思われる 次のような人々の存在を知る。
  A 元・双永寺住職、宮林雲行(うんぎょう)
  B 謎の武士、児玉拡平(惣兵衛)
  C 旅館の主人・角田恒二郎
  D 恒二郎の義理の従弟・角田源次郎
 これらの人々の証言や行動を継ぎ合わせて行くうちに、慶応2年1月から10月の間、前橋藩士・松村竹二郎と名乗る人物を首領とする武士数十人が、領民ら100人以上を動員して津久田原で何らかの作業をしていたことを突き止めた。作業をしていた場所は角田源次郎がかって掘った井戸(源次郎の井戸)から、さほど遠くない場所と推測された。「埋蔵金の隠匿場所は津久田原に違いない!」という確信を抱いた智義は、明治16年(1883)頃、 この地に移住して発掘に着手するのである。

発掘されたとされる黄金の徳川家康像
(現在行方不明)

 明治23年5月19日、源次郎の井戸に近い場所から黄金の徳川家康像と銅皿が出土。同じ頃、津久田原に近い深山村の双永寺から謎の銅板3枚が見つかる。また、恒二郎の娘・カンと結婚した智義は、舅の紹介で源次郎に会った。舅も松村竹二郎からの依頼で人足の手配などを担当したが、源次郎は竹二郎らの用いた資材の調達を担当しており、「萬四目上覚之帳(よろずしめあげおぼえのちょう)」なる資材購入の台帳などを持っていた。
 智義は苦労して、「萬四目上覚之帳」などを手に入れた。宮林雲行や児玉拡平の正体は不明だが、一説には雲行は元幕臣で、同じく幕臣・林鶴梁次男の羽倉鋼三郎と親しかったという。一方、拡平の前身は幕臣とも前橋藩足軽ともいわれたが、当初、敵愾心をむき出しにしていたこの老人も、やがて智義に対して心を開くようになり、明治24年(1891)に没するまでの間に御用金の隠匿の経緯を記したといわれる「大義兵法秘図書(たいぎへいほうのひずしょ)」なる謎の巻物や、やや曖昧ないくつかのアドバイスを智義に与えた。蔵人の言葉の中に、「児玉こと藤原(菅原とも)殿が御用金を見張っている」とあったというのは児玉拡平のことであろう。雲行も同じく御用金の番人と思われた。
 また、児玉拡平が智義に語ったというところによると、この御用金計画には
 T 小栗上野介忠順(幕府勘定奉行)
 U 林 鶴梁(幕府代官・学者)
 V 中島蔵人(幕府勘定吟味役)
 W 柴田監物(幕府甲府城代)
 X 林 国太郎(林鶴梁の長男)
 Y 羽倉鋼三郎(林鶴梁の次男)
 Z 雲井龍雄(元米沢藩士)
 [ 屋代昇平(元前橋藩士)
 \ 大忍坊温海(だいしんぼううんかい、僧侶)
 ] 桜正坊(おうしんぼう、僧侶)
といった人物が関係しているという。以上の資料や出土品、伝承に勇気づけられた水野家では、以後も智義、その子の義治・愛三郎兄弟、愛三郎の次男・智之氏(現当主)の4人が百十年以上にわたって掘り続けているのである。

深山の双永寺の床下から発掘されたとされる3枚の銅版の写し(銅版は現在行方不明)

 

埋蔵金のロマンに後半生を捧げた三枝茂三郎

 徳川埋蔵金に挑んだ人物として、水野家の四人と比較される人物に三枝(さえぐさ)茂三郎がいる。
 三枝茂三郎は、警察署長を退職した後、バス会社を経営しながら京橋区(現東京都中央区)区会議員(任期 昭和4年11月〜8年11月)を努めていた。
 翁はある男に金を出資して津久田原付近を掘らせていたが、「男が真面目に発掘事業をせず、金を浪費している」という噂を耳にした。本来、翁は埋蔵金などには興味が無く、付き合いのつもりで金を出資していたのだが、津久田原に乗り込んでこの男を叱りとばしたついでに、埋蔵金の真偽を問いただしたところ案外おもしろい。付近をしらみつぶしに聞き込んで、どうやらこの埋蔵金譚が出まかせでないことをしる。
 昭和十三年に土地の買収を終え、発掘に着手した翁は会社社長の地位を捨て、一軒のあばら家を根城として、以後約30年という時間と巨額の費用とを発掘に注ぎ込んだ。50点以上の出土品が見つかり、昭和32年頃に宝庫と思われる出土品も多数見つかったが、ついに埋蔵金を見つけられぬまま、翁は昭和49年に他界した。
 巷間に喧伝されている説によると、使用人が偽装工作をした石を翁に見せると翁は小児のように喜んで酒手を与え、石が見つかった(とされる)場所を重点的に掘ったという。そんなことが何度も何度も繰り返されたらしい。
 警察署長・バス会社社長・区会議員など、前半生の華々しい履歴に比べ、後半生を埋蔵金のために翻弄され、終始、人に騙され続けたこの人物の話は、聞く者の涙を誘う。(徳川埋蔵金伝説検証事典 川口素生 著より)

科学技術は役立つか?
 探知機類で真っ先に思い浮かぶのは金属探知器だが、業務用の高性能のものでも次のような理由により、本格的な埋蔵金の探索には向いていないのが実情である。
 1 金属探知器は、探査可能な深度が浅い。もともと、地雷探知機として開発された
   もので、地下数メートルの深さにあるものを探し当てるのは難しい。
 2 日本の土や岩石には鉄分が多く含まれているため、金属探知器は効果的に機
   能しないことが多い。
 
 そのほか、地中に電気を流して抵抗をはかる「電気探査法」、遺跡の調査で実績をあげている「地中レーダー」、長さ10mの電磁気測定センサーをヘリコプターからつるして地中を探る「空中電磁法」などがある。ちなみに、空中電磁法は、糸井重里のチームが沼尾川の上空で使ったが、埋蔵金は発見できなかった。

徳川埋蔵金・赤城村内の諸説

 ○津久田原説
 ○長井小川田説
 ○芳ヶ沢説
 ○双永寺説
 ○年丸橋(小川田橋)説
           
(「徳川埋蔵金伝説検証事典」に掲載されている諸説)

 地元に住む者にとっては、あまりにも身近なところに諸説があることに驚きます。まさに、埋蔵金のロマンの地という感じですが、現実には地元の人は、全然探していないような気がします。健全、健全!