真面目に書く2
改めまして、すっかりお正月気分は遠くにいってしまいました。が、

あけましておめでとうございます
今年もどうぞよろしくおねがいします

なみです。
真面目に書く の続編を書くのまきー

障害で一番、理解が得にくいのは見えないところだと書きました。
んじゃーそれってなんだろうってところを個人観たっぷりで書きますね。

内部障害という言葉がある。内臓に疾患を抱えている方だ。
見えないだけに、社会生活はご苦労があると思います。
最近は、随分と周知がされてきていると思うが、それでも、やはり見えにくいという点では理解を得るのが難しいのではないかと思う。
一口に内部障害と言っても、様々な病気があるので、是非、調べて見て欲しいと思います。

今でも、時折、後悔と一緒に思い出す方がいる。その方は、視覚と内部と重複障害のある方だった。残念ながら、治療拒否という形であちらへいってしまった。もっともっと、この方を理解して、心を寄り添える人が増えていたら、もしかしたら、治療拒否ということにはならなかったのかもしれない。飲食を制限されて、見えないから人の手を借りなければ歩くことすらままならずで、強い言葉ばかりを聞いていたけど、本当は違ったのかもしれない。

それから、聞こえない。これも実に理解が得にくいと思う。
何しろ、後ろから声を掛けても気づいてもらえないのだ。
知らないと無視されたなんてことになりかねず、誤解を受けやすいという点で、知ってほしい障害の一つだ。
それから、知らずにやり取りをして誤解を受けてしまうことも多々多々ある。
今だにちゃんと理解をできてない私がいうのもなんだけど、世代や地域によって使う手話が少しずつ違ったり、教育された年代によっても違ったりと、様々です。
手話言語法が施行されて間もないですが、もっともっと理解を深めたいなと私も考えています。

それから、精神的なところも見えないという意味で理解が得にくいところもあります。

いつだったか、パン屋さんへ行ったら、若い男の子が私に向かって「げんきー」って手を振ってくれたので、手を振り返したことがあって、一緒にいた主人が機嫌を悪くするということがありました。
説明をしたら、申し訳ないことをしたと話していましたが、おそらくそのパン屋さんで働く青年だったのだと思います。

見えにくい障害というのは、きっとこちらの想像力を使う必要があるのではないかと感じる。

聞こえて見えて、人とのコミュニケーションが難なく出来る人間からすると
聞こえない、見えない、人とのコミュケーションが難しい人を心の片隅に、は、難しい。

でも、知った時から心の片隅に置いてくれたら、理解を得にくい障害も少しずつ理解を得れるのではないかと思う。綺麗事と思うなかれ、知らないということは知るチャンスがあるということだ。

かくゆう、私だって知るチャンスはまだまだイッパイあるのだ。

それから、もうひとつだけ書きたい。

障害=障害手帳と思って欲しくない。

何らかの理由があって、手帳を持たない方もいる。
それから、突発的な怪我や病気により、一時的な障害がある方もいる。

そう考えると、社会のあちこちに障害がある方がいるのではないかと思う。

パソボラに関わって以降、ずっと福祉の世界で生きているので
もしかすると、私のほうが理解してないことが多いのかもしれないなと思うこともある。

体験談をすると、献血お願いしまーすって言われると苦笑いしちゃいます。
「すみません、献血はできません」っていった時に、ホントかよって顔するのを見たら
めっちゃがっかりしちゃうんだよね。見えないってそういうことなんだよなと思ったり。
およそ、病気とは無縁そうに見える体つきですが、ちょい病気があり、献血ができない体なの(笑)

そんなこんなで、急ぎ足ではありますが、見えない障害については終わります。
本当は、掘り下げていくべきかもしれないけど、知るチャンスをここを読まれた方にも持って欲しいと思います。
是非、自身で調べてみて様々なことを知ってください。
2017.01.24 15:24 | つぶやき | コメント (0)
コメント一覧
コメント投稿

名前

URL

メッセージ

パソボラサポート群馬トップへ

- CafeNote -