深夜プラス1
MIDNIGHT PLUS ONE

 
「モーゼルを持っていくなんて、正気じゃないな」
「戦時中の経験、ということにしておこう。機関銃大隊が後ろだてになっていると思ったら安心じゃないか?」
「後ろだては困る。そいつをぶっ放すときはおれがきみの後ろにいるときにしてくれ」
―ルイス・ケインとハーヴェイ・ロヴェル
著 者:ギャビン・ライアル
出版社:早川書房/早川文庫HM
訳 者:菊池 光
出版年:1965年(原書)
 
 ビジネスエージェントのルイス・ケインは、とある大金持ちの男を、定刻までに、ブルターニュの海岸から、スイス近くのリヒテンシュタインまで送り届けるという依頼をうける。ケインは戦争中、レジスタンスの一員として戦ったイギリスの情報部員だったのである。
 ケインの前に現れた大金持ちのマガンハルトは、婦女暴行の疑いで警察に追われていて、しかも相棒として紹介されたボディ・ガード、ハーヴェイ・ロヴェルは、強度のアルコール中毒だった。ババ札ばかりをにぎらされたケインだったが、さらにマガンハルトを追っているのは警察だけでなく、謎の敵が彼の命を狙っていることを知る。だが、もし定刻までにリヒテンシュタインにたどりつけなければ、マガンハルトは全財産をうしなうことになるのだ。
 ケインはシトロエンDSのハンドルを握り、敵のさしむけたガンマンが待ちうけるフランスの闇の中に走り出していった。

 ライアルは、淡々とした文体で、非情な男の世界を描き出す作家だ。最初は、どこで盛り上がったらいいのか分からない(笑)彼の文章に戸惑うかもしれない。だが、ちょっと慣れれば、静かに抑えた文体ならではの緊迫感や、息をのむようなスピード感を感じ取れるようになる。そうなればしめたもので、あとはどっぷりとライアルの世界にハマっていけるだろう。
 とくに、独特の倫理感と、頑ななまでに強固な信念をもつ「プロの男たち」の描きかたには、ただ脱帽の思いである。自分の挑む困難きわまりない「仕事」に対し、一抹のむなしさを感じながらも、絶対に投げ出さない主人公。「アル中で任務を果たす自信がない」―そう認めることが、どんなに自分にとって辛くても、プロとしての誇りにかけて、あえてそれを選択するハーヴェイ。たとえ命と引き換えにしても男としてのプライドを守りとおそうとする彼らの姿は、とてつもなく厳しく、美しい。
 そして、そんな馬鹿な男たちを理解し、許し、受け入れてくれる、心優しい女たち。現実には、こんな女性は絶対にいない。おとぎ話のお姫様を探すほうが、まだやさしいだろう。だが、誰よりも厳しい人生を生きている彼らだからこそ、そんな素敵な女性がそばにいてもいい。

 ライアルの小説はどれも、非情な世界に生きる男たちの現実と、辛い現実ゆえに夢見るおとぎばなしとが、いい具合に混ざり合って構成されている。残念ながら、こういう世界は女性にはわかってもらえないらしくて、僕の知る範囲では、ライアルのファンはすべて男性である。傑作中の傑作とされているこの「深夜プラス1」でもそれは変わらない。ずいぶん女性に向けて宣伝もしてみたのだが、さすがにもうあきらめた。もういい。女は読まなくてもいい。ライアルの小説は、男だけに許された、厳しくもかぐわしい夢の世界なのである。こう言われて悔しかったら、せいぜい頑張って読んでみたまえ、女性諸君。
 


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