長いお別れ
THE LONG GOODBYE
 
 
 
「お前は警官がきらいなんだ。それだけのことだ。警官がきらいなんだ」
「警官がきらわれていない場所もあるんだが、そういうところでは、君は警官になれない」
―私立探偵フィリップ・マーロウ、警察での取調べ中に
 
 
 
著 者:レイモンド・チャンドラー
出版社:早川書房/早川文庫HM
訳 者:清水俊二
出版年:1954年(原書)
 
 現代の、というにはすこし時代がくだってしまったが、その事実はあえて無視する。フィリップ・マーロウは、現代によみがえった騎士である。私立探偵なんぞというのは、じつはやくざな商売であって、マーロウのように高潔でもなければ、やせ我慢をしてそれでよしとしているわけにもいかない。生身の人間だから食っていかなくてはならないし、そのためには仕事のえり好みなど、していられないのが現実である。信念を持って仕事をしている、数少ない本物の探偵ですらそんな有様だからして、大部分を占めるサギ師まがいの探偵などは、マーロウのマの字でも出された日には、しぼんでどっかへ飛んでいってしまうだろう。

 殺人容疑のかかった友人を逃がしてやる。その友人が、メキシコで罪を認めて自殺したというが、新聞の言うことなんかこれっぽっちも信じていない。警察にしょっ引かれてもビビったりしない。逆に軽口をたたいて、警官を翻弄してやる。やくざに脅しをかけられて、「この次は拳銃を持って来い」と言い返す。彼の干渉をきらう大富豪の老人に呼びつけられても、いけしゃあしゃあとその要求をはねつける。苦労して友人の無実をさぐりだすが、それで金が儲かるわけでもない。ただ、「さよならをいう友だちがあったといったね。ぼくはまだほんとのさよならをいってない」、その証拠を公表すれば、「それがさよならになるんだ」という。

 ふつう、こんなことをしていたら、身が持つはずがない。目はしのきく人間なら、耳をふさぐか、口をつぐむかして、われ関せずを決めこむはずだ。長いものにはまかれろ、面倒ごとにかかわりあうのはごめんだという大衆意識は、じつは日本だけではなく、アメリカにおいても同じことなのだ。だからこそ、不名誉な死に方をした友人のために、わが身をかえりみず真実を追い求めたマーロウの姿は、アメリカでも、イギリスでも、もちろん日本でも、高潔なものとして憧れの対象となり、シャーロック・ホームズに次ぐ、もっとも有名な私立探偵の一人に、彼の名を押し上げたのである。
 いささか時代錯誤であったとしても、やはり騎士道精神というのは立派なものだ。いや、時代遅れだからこそ、見事なまでのマーロウの騎士っぷりに、僕は男のロマン(苦笑)を感じる。鎧兜のかわりに瀟洒なスーツに身を固め、ひるがえすのはきらびやかなマントではなく“勇気のシンボル”と言われたトレンチコート。く〜っ、かっこいいじゃないかちくしょう! 騎士道精神のアナクロニズムをたてに、マーロウをこき下ろした評論家もいたが、文句を言われる筋合いのものではあるまい。たとえアナクロだろうが、ローカルだろうが、チャンドラーの小説と、そこに描かれたマーロウの活躍は、あまりにも見事で、男の心をとらえて放さない。それ以外の事は付け足しに過ぎないのだ。「ローカルなことでも、見事に書かれてさえいればナショナルになり、インターナショナルにもなる」と、かのゲーテも言っていたではないか。

 あの名ゼリフ「ギムレットには早すぎる」が生まれたのも、この小説ならではだろう。じつは、それ以上に味のある台詞がいくつもあって、僕としては、正直はがゆい思いもしているのだが、それでも、これほどにウィットに富んだ、印象深い名ゼリフがたくさんちりばめてある小説も少ない。小説を読む楽しみのひとつは、こうした言葉の遊びであり、絶妙なセリフまわしや、気の利いた表現のひとつもないようでは、小説とは呼べないのだ(だから僕は私小説が嫌いで、あんなものは日本が生んだ文字文化の恥部だと思っている)。
 大人の楽しみとして読む小説は、勇気とロマンに満ち溢れた冒険小説や、洒落ていて楽しく、それでいながらほどよく苦味のきいたハードボイルドにかぎる。『長いお別れ』は、まさにハードボイルドの最高峰だ。文庫にしてもかなり厚みのある長編だから、手に取るにはちょっと覚悟が必要かもしれないが、文章や筋立てが冗長になることはない。興味を持ったらそれが吉日である。ぜひ挑戦してみてほしい。
 
 
 

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