Clifford Brown(tp)
クリフォード・ブラウン

 
若き天才をおそった非運
突然の事故は、ジャズシーンからあまりにも大きな希望を奪い去った
 
 
Musician Introductions
 ビバップ以降、ジャズ・トランペットの世界をリードしてきたミュージシャンと言えば、誰にきいてもまず名前が挙がってくるのが、“帝王”マイルズ・デイヴィスである。もっとも、彼はたんにトランペットのみならず、ジャズシーン全体をひっぱってきた偉大なパーソナリティであるが、後世におよぼした影響をジャズ・トランペットの範囲だけに限定するなら、マイルズのほかにもうひとり、わずか25歳の青年が、この半世紀にわたる歴史をリードしつづけてきたと言える。いや、ことトランペッターとしては、その影響力はマイルズ以上だったかもしれない。彼の名はクリフォード・ブラウン。いまだに数多くのトランペッターから目標とされている、まさに不世出の天才である。
 ブラウニー(ブラウンの愛称)の演奏の特徴は、なんといっても「すべてのアドリブが歌になっている」とまで評された、歌心あふれるプレイにほかならない。マイルズが闇と孤独、そして寂寥感を表現するトランペッターなら、ブラウンは対照的に、太陽のような輝きと、つややかな音色で、ぬくもりと生命力にみちあふれたフレーズをつむぎだすのだ。
 そして、ブラウニーはけっして安全運転をしない。アドリブというのは、収拾がつかずに破綻してしまう危険性を、つねに内包していて、ミュージシャンは失敗しないために、様々な工夫をしている。クリシェといわれる、あらかじめ作って練習しておいたフレーズをつなぎ合わせて演奏することもあれば、インプロヴィゼーションにブレーキをかけて、自分のテクニックで処理しきれる範囲にアドリブの展開を押し込めてしまうこともある。だが、ブラウニーの演奏は、そういったごまかしをいっさいおこなわない。自己の体内からわきあがるインプロヴィゼーションの命じるまま、常に自分の限界ぎりぎりの演奏に挑んでいる。その度胸と自信に満ちあふれた、思い切りのいいスリリングな演奏は、いっそ爽快ですらある。
 その演奏を聴く限り、ジャズ・ミュージシャンが大学などで高度な音楽教育を受けるのが当たり前になった現在と比べても、ブラウンが極めて高度なテクニックの持ち主だったことは疑いようがない。だが、彼のすばらしさは、そのテクニックにおぼれることなく、黒人としてのエモーションの表現を追求していったことだろう。ブラウニーには「うまいけれど面白くない」演奏も、「気持ちだけが空回りをしていて、音楽として表現しきれていない」演奏も、ともに無縁のものである。
 ブラウンのデビューは49年。その後、交通事故による入院生活でいったんの中断はあったものの、ライオネル・ハンプトン楽団のヨーロッパツアーに参加した若手ミュージシャンがこぞって“造反”して録音された、あの有名な『パリ・コレクション』や、アート・ブレイキー(ds)のジャズ・メッセンジャーズとともに、ハード・バップの夜明けをたからかに宣言したライヴ録音『バードランドの夜』(ブルーノート/1954年)など数々の歴史的なセッションで、その輝かしいサウンドをいかんなく発揮して、着実に当代随一のトランペッターとしての評価を高めてきた。そして1954年、ブラウンはマックス・ローチ(ds)が結成した五重奏団の双頭リーダーとして、いままでにもまして精力的な演奏活動を開始する。数多くのレコーディングもおこなわれ、そのすべてが歴史的な名演となったことからも、このクインテットの充実ぶりがうかがえるだろう。ことに、ローチとは、音楽上のことはもちろん、人格的にも優れた最良のパートナーとして、深くお互いを尊敬し、信頼し合っていた。
 ローチだけに限らず、ブラウンは、彼を知る人すべてから「スウィート・クリフォード」というもうひとつのニック・ネームで呼ばれ、その人柄を愛された。残された写真や、彼自身の演奏からは、明るくほがらかで、きわめて誠実な印象を受けるが、それはブラウニーのまったくの真実の姿だったという。勤勉で、酒や麻薬には興味を示さず、だれに対しても誠実に、暖かい感情をもって接した。天才的なジャズ・ミュージシャンのイメージからは、ちょっと拍子抜けするほどに品行方正なナイス・ガイ、それがクリフォードであり、ライバルであったアート・ファーマー(tp)ですら、その人柄には魅了されたという。
 また、現代に残った最後のジャズの巨人、ソニー・ロリンズ(ts)も、ブラウンとおなじバンドのメンバーとして過ごしたことがあるが、「彼から音楽的なインスピレーションをうけただけでなく、人柄や生活態度からの影響もとてつもなく大きかった。清くつつましい生活をしていても、一流のジャズ・ミュージシャンにはなれるんだということを教えてくれた」と語っている。この時期まではたいした仕事もなく、精神的にも追いつめられていたロリンズだったが、五重奏団への参加をきっかけに、50年代最高のサックス奏者への道を驀進していく。
 ブラウンたちが、スウィングの伝統を踏まえて、ビバップを発展させた結果生まれたのが、ハード・バップと呼ばれる音楽である。ブラウンは、この後に訪れるハード・バップの全盛期はもちろん、さらにその先を見つめていたにちがいない。彼の才能が、ローチや仲間たちとの創造的な交流を通して、さらに大きく花開けば、どんな音楽を創り出していたのだろうか。
 しかし、悲劇はあまりにも突然だった。1956年6月25日、五重奏団はフィラデルフィアで、地元のミュージシャンとジャム・セッションを行っていた。演奏が終わったあとで、ローチとロリンズ、ジョージ・モロウ(b)の三人はいったんニューヨークにもどるために空港へ向かい、ブラウンはピアニストのリッチー・パウエルとともにフィラデルフィアのホテルに残った。翌週からシカゴのクラブに出演する予定だったため、彼らはペンシルヴァニア・ターンパイクで落ち合い、一緒にシカゴにむかうことになっていたのである。その夜、ニューヨークに戻ったローチは、ブラウンからの電話をうけた。トランペットの工房を訪ねるため、予定を変更して夜明け前にホテルを出発する事にした、という。ローチは、このときのことを何度となく思い出して、「あのとき、なんとしても引き止めておけば……」と、涙にむせんだという。
 ブラウンは、午前三時にホテルを発ち、パウエル夫妻とともに、車でペンシルヴァニア・ターンパイクの山岳地帯の向こうにある、エルクハートという町に向かった。だが、その途中で、ブラウンたち三人の運命は断ち切られてしまった。運転に不慣れなパウエル夫人がハンドルを握っていたのも、不運だったのかもしれない。山道は雨が降っていて視界が悪く、スリップを起こしたのだろう。ブラウンたちの乗った車は、山岳地帯のカーブを曲がり切れずに、ガードレールを突き破って谷底へ転落した。全員が即死だった。
 死は場合によってさまざまな意味を持つが、ブラウンの死は、ジャズ・シーンと、ジャズを愛する人すべてにとって、とりかえしのつかない喪失以外のなにものでもなかった。まだ25歳という若さで、しかもこれからのジャズ界を確実にリードしていく巨大な才能をかかえたまま、ブラウニーはこの世を去っていってしまったのである。
 ブラウニーがジャズ・シ−ンで活躍していた期間は、入院によるブランクを除けば、5年にも満たないわずかな間でしかなかった。しかし、そのわずかな活動期間のうちに、彼は後世のトランペッターがこぞって師表とする、最高のジャズ・スタイルを作り上げてしまったのである。リー・モーガン、ドナルド・バード、ウィントン・マルサリス、彼らはみな、ブラウンの音楽と演奏スタイルを目標とし、そこを出発点にして、独自の音楽を発展させていった。ブラウンと同じ高みにまでたどり着いたミュージシャンはいまだに一人としていないが、それでも、現在のジャズが、多くの才能ある若手トランペッターに恵まれているのは、まさにブラウニーのおかげといえるだろう。
 ブラウンの死後、生前彼と親交のあったサックス奏者ベニー・ゴルソンは、ブラウニーへの哀悼をこめて、『クリフォードの想い出(I Remember Clifford)』という曲を発表した。シンプルで美しいメロディのこの曲は、瞬く間に多くのミュージシャンによって演奏され、永遠のジャズ・スタンダードとなった。僕もこの曲を心から愛するファンの一人だが、もしも、ジャズの歴史から、この素晴らしい曲がなくなるのとひきかえに、クリフォードの魂を呼び戻す事ができる、と言われたら、ゴルソンはもちろん、ジャズを愛するすべての人が、だまって楽譜やレコード、CDをさしだすのではないか。僕には、そんな気がしてならない。

 

Album Guide

スタディ・イン・ブラウン エマーシー(日本フォノグラム)55年

1.チェロキー 2.ジャッキー 3.スィンギン 4.ランズ・エンド 5.ジョージス・ジレンマ 6.サンデュ 7.ジャーキン・フォー・パーキン 8.イフ・アイ・ラヴ・アゲイン 9.A列車で行こう
●クリフォード・ブラウン(tp)ハロルド・ランド(ts)リッチー・パウエル(p)ジョージ・モロウ(b)マックス・ローチ(ds)
 
ブラウンの演奏自体はどの録音を聞いても素晴らしいが、バンドとしてのバランスや、サイドメンの実力を考えると、やはりブラウン=ローチ・クインテットの演奏が傑出している。これは、そのなかでももっともお奨めしたいアルバム。演奏のレベルもたしかに凄いのだが、それよりなにより、聴いていてとにかく楽しい。このアルバムを聴いてうきうきしないようなら、その日はもうだめである。さっさと布団かぶって寝てしまいなさい。ブラウニーの演奏すべてに共通しているが、音楽って楽しいものなんだよ、ということを、全身で表しながらプレイしている。そうあるべきだし、そのように聴いてほしい。悲劇のトランペッターだからといって、演奏を聴くのにまで重苦しく考える必要はないのだ。


イン・コンサート GNPクレッシェンド(キングレコード)54年

1.ジョー・ドゥ 2.言い出しかねて 3.君にこそ心ときめく 4.パリの舗道 5.神の子はみな踊る 6.テンダリー 7.サンセット・アイズ 8.クリフォード・アクス
●クリフォード・ブラウン(tp)ハロルド・ランド(ts)テディ・エドワーズ(ts)リッチー・パウエル(p)カール・パーキンス(p)ジョージ・モロウ(b)ジョージ・ブレッドソー(b)マックス・ローチ(ds)
 
上記同様、ブラウン=ローチ・クインテットの演奏だが、唯一のライヴ録音。面白いことに、前後半でブラウンとローチ以外の演奏メンバーが違っている。前半がいつものメンバーによる録音で、後半はその4ヶ月ほどまえ、同クインテットの初期メンバーによる録音である。ハードバップ最高のコンボの、サウンドの移り変わりを楽しみながら聴くといいだろう。しかし、ブラウニーとローチの親密な演奏は、前後半通して、まったく変化していない。最初から完成品だったのだ、このコンビ。アドリブの内容も、思わずニヤリとさせられるような遊び心に満ちていて楽しい。1曲の演奏時間は比較的長いが、冗長さを感じさせず、聴く者を飽きさせない。こんなコンサートを生で聴けたら、最高だったろうになあ……。

 

[BACK]