Bud Powell(p)
バド・パウエル
 

愁いと翳り、破滅への彷徨が生んだ極限の美





Musician Introductions
 ジャズファンにはサドが多いのだろうか? どうも、ミュージシャンが健康で裕福な生活をしているとがっかりするという、奇妙な心理があるようだ。そういう筋の人から言わせれば、さしずめパド・パウエルなどは、その生涯がジャズ・ミュージシャンらしいという点で、さぞかし優等生ということになるのだろう(笑)。
 パウエルは、ビバップからハードバップを代表するピアニストとして、インプロヴィゼーションを最重要視する、モダンジャズピアノの基本となるスタイルを作り上げた。パウエル以降のピアニストは、ひとり残らず、彼の影響を受けているといっても過言ではない。ビル・エヴァンズしかり、マッコイ・タイナーしかり、ハービー・ハンコックしかりである。
 モダンジャズ以前は、ジャズにおけるピアノは、あくまでリズム・セクションの一つにとどまっていた。ビバップ期においてすらピアニストがソロを取ることは極めて少なく、メインとなる楽器の伴奏が主な役目で、ピアノによる演奏表現の機会はほとんどなかったといっていい。だが、わずかに行われていたピアノトリオでの演奏が、次第にジャズとしての市民権を得ると、ピアノという楽器の表現力が俄然注目されだした。アート・テイタム(p)による演奏がジャズのみならず、あらゆる音楽関係者から称賛され、ピアノが独立した楽器として通用する下地ができたちょうどそのころ、パウエルはジャズシーンに登場したのである。
 パウエルは、右手で奏でるフレーズを強調することによって、ピアニストが一個のインプロヴァイザーであるということを印象づけるのに成功した。よくいわれる、ほとんど左手を使わない演奏スタイルも、テクニックの問題というよりは、伴奏的な演奏から決別するための荒療治の一つだったのではないか。
 パウエルは、自分の演奏にあわせて、メロディやアドリブラインを口ずさむことでも有名で、それが「クレオパトラの夢」などでは、ひじょうにあやしい雰囲気をかもしだしている(笑)。だが、彼をインプロヴァイザーとしてみた場合、これはむしろ逆に解釈するべきだろう。身のうちから沸き上がってくるインプロヴィゼーションが、メロディになって口をつき、それを同時にピアノという楽器で表現しているだけのことである。感情の盛りあがりから、われ知らず口をついた場合もあったろうが、やはりこれもインプロヴァイザーとしての自己主張とみるべきかも知れない。
 こうして生み出されたパウエルの演奏は、メロディックなアドリブと、天才のみが持つ閃きに満ちていて、ジャズのすばらしさを、聴くものの耳に深く刻みつけずにおかない。特に、アタックの強いフレーズを奏でる瞬間の迫力は、おもわず息をのむほどである。
 こうして、モダンジャズピアノの流れを根底からくつがえすことに成功したパウエルだったが、その後は、麻薬と精神疾患とにむしばまれ、しだいにその表現がやせ衰えていった。療養のためにアメリカを離れ、パリに暮らしたりもしたが、症状は好転しなかった。その間、まるでなにかにすがりつくかのように演奏活動を続けていたが、最後には自分がだれと一緒に演奏しているのかも分からず、ただ鍵盤をたたき続けているだけだったという。
 この時期のパウエルの演奏には、絶望と苦悩のなかでゆらめく炎のような終局の美があるとして、その暗い輝きに囚われるファンも多いが、やはりだれにでも無条件にすすめられる演奏とはいいがたい。ものにもよるが、たとえば『アット・ホーム(fontana、63,64年)』などは、聴きおえたあと、あまりの痛々しさにただ深いため息をつくのみで、1時間近くも座り込んだままになってしまったくらいである(以来、僕はこのアルバムを聴いていない)。
 軟派といわれるかも知れないが、やっぱり僕は、聴いた後で幸せな気分になれる音楽が好きだ。その意味で、僕の愛聴するパウエルは、ブルーノート時代をはじめとする、いい状態での演奏を収録したアルバムになっている。

Album Guide
ジ・アメイジング・バド・パウエル vol.1 ブルーノート(東芝EMI)49,51年
1.ウン・ポコ・ローコ(テイク1)2.ウン・ポコ・ローコ(テイク2)3.ウン・ポコ・ローコ 4.異教徒たちの踊り 5.52丁目のテーマ 6.イット・グッド・ハプン・トゥ・ユー(別テイク)7.チュニジアの夜(別テイク)8.チュニジアの夜 9.ウェイル 10.オーニソロジー 11.バウンシング・ウィズ・バド 12.パリジャン・ソロフェア 
●ファッツ・ナヴァロ(tp)ソニー・ロリンズ(ts)バド・パウエル(p)トミー・ポッター(b)カーリー・ラッセル(b)ロイ・へインズ(ds)マックス・ローチ(ds)

パウエルが残した最高傑作のひとつ。テイクのちがう『ウン・ポコ・ローコ』が、3度たてつづけに演奏され、聴くものを完全にノックアウトする。ビ・バップ期における最高峰のトランペッター、ファッツ・ナヴァロとの息づまるようなかけあいも、このアルバムの聴きどころだろう。その他にも、気鋭の新人だったソニー・ロリンズ、マックス・ローチとのエネルギッシュなセッションなど、メンバーだけを見ても興味深い演奏が多い。だが、このアルバムの真価はやはり、凄絶な切れ味を見せる、パウエル自身のピアノ演奏にある。トランペットやサキソフォンといった、いわば主役級の楽器に対し、一歩も引かない構えでソロを繰り広げるパウエルのピアノの、なんと力強い響きだろうか。こうして、ピアノが伴奏楽器という呪縛から解き放たれたために、ベースやドラムスなど、リズムセクションの各楽器も、それぞれ独立した表現をめざすようになって、やがてハード・バップという、ジャズにとってのひとつの黄金時代が始まるのだ。
 

ザ・シーン・チェンジズ ブルーノート(東芝EMI)58年
1.クレオパトラの夢 2.デュイッド・ディード 3.ダウン・ウィズ・イット 4.ダンス・ランド 5.ボーダリック 6.クロッシン・ザ・チャンネル 7.カミン・アップ 8.ゲッティン・ゼア 9.ザ・シーン・チェンジズ 
●バド・パウエル(p)ポール・チェンバース(b)アート・テイラー(ds)

すでにこの頃には、パウエルの精神疾患はかなり進んでいたようだ。だが、ブルーノートへの録音にかぎっては、奇跡的にベストに近い状態での演奏が残されている。パウエル自身、ブルーノートというレーベルへの愛着もあったろうし、なによりプロデューサーであるアルフレッド・ライオンが、収録する演奏について、確乎としたイメージを持っていたからだろう。精神的にバラバラな状態のときに、自分をプロデュースしてくれる人間が、はっきりとした方向性を示してくれることが、どれほどの助けになるかは、創造の苦しみを知る人間にしかわかるまい。ましてや、その示された道が、自分の意図した表現とぴったり重なっていたとなれば、なおさらのことだろう。このアルバムでのパウエルは、まるでかつての最良の時代をとりもどしたかのように、自由かつ創造的な演奏をくりひろげている。特に人気という点では、パウエルの諸作品のなかでも、文句なしのナンバー・ワンである。
 
 

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