Musician
Introductions
ビル・エヴァンズの音楽に対する評価は、繊細、叙情的、ロマンティックというイメージが固定的だが、ただそれだけのピアニストなら、僕は彼のピアノに、これほどまでに魅きつけられはしないだろう。エヴァンズの演奏は、内省的で神経質、悪くいえばクラい。コードやボイシングに対する繊細な感覚はすごいと思うが、ジャズとしては、ノリを大切にしたファンキーな演奏の方が楽しいし、そのほうが僕の好みでもある。演奏スタイルでいえば、僕はエヴァンズのようなピアニストは、けっして好きではないのだ。にもかかわらず、エヴァンズの音楽は、僕をとりこにして放さない。いったいなぜなのだろうか。
エヴァンズの絶頂期は、やはりスコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)とのトリオを組んでいた、59年から61年までのわずか2年ほどの間だろう。史上最高のピアノ・トリオと呼ばれたこの3人の活動は、ラファロの事故死により、あまりにも突然に幕を閉じてしまうのだが、この時期リヴァーサイドに収録された4枚のアルバムだけで、エヴァンズについてはすべてを語れてしまう。
語弊があるかもしれないが、これ以後のエヴァンズの活動は、ラファロの死によって失われてしまった至高のインタープレイを、どうにかして取り戻そうとする絶望的な努力だったとも言える。もちろん、エヴァンズは以後もすばらしい作品を次々と発表していくし、僕もそれらが大好きだが、ラファロ〜モチアンとの、深い理解と信頼に裏打ちされた音楽的交感が甦ることは、ついになかったのである。
ほんらいジャズは大衆音楽であり、エンターテイメントとしての側面を強く持っている。だが、エヴァンズの演奏は、当初から芸術音楽としての姿勢をはっきりと示していた。それだけに、その表現は深く掘りさげた方向へ向かい、楽器と楽器で対話ができるまでに深く理解しあったパートナーの存在が不可欠だったのだろう。インタープレイとは、こうした交感に支えられた演奏対話をさしていう言葉だが、エヴァンズとラファロに肩をならべるまでのインタープレイを実現できたミュージシャンは、いまだに一人も現れていない。
それは60〜70年代のエヴァンズ自身も同じことで、パートナーにチャック・イスラエルズ、エディ・ゴメスというすばらしいベーシストを得、彼らがエヴァンズの期待に120%応えた演奏をしたとはいえ、『あの時』には遠く及ばないもどかしさを感じていたのだろう。数々の音楽的な成功のかげで、悲劇と失意が続いた私生活にも打ちのめされ、彼は一度手を切ったはずの麻薬に、再びおぼれていく。それでもエヴァンズの音楽はあいかわらず素晴らしく、つねに抑制されたロマンティシズムと、清冽な美しさをいっぱいにたたえていた。80年9月、コカイン中毒による内臓からの出血で、エヴァンズは帰らぬ人となるが、その直前の録音にも、麻薬や荒れた生活の影響は、わずかな影を落としてすらいない。
エヴァンズは、ただロマンティックな演奏をするだけのピアニストではなかった。音楽の美しさを追い求めるために、自分の命までもすり減らす求道者であり、真の芸術家だったのである。たんに甘く感傷的な音楽とは違い、繊細でロマンティックな表現のなかにも、美の追求に妥協を許さない芸術家としての厳しさが、通奏低音のように流れている。それが、エヴァンズの音楽を、芸術の高みへと押しあげているのである。僕がエヴァンズの演奏に夢中になる理由も、そこにあるのだろう。
Album Guide
ポートレイト・イン・ジャズ リヴァーサイド(ビクターエンタテイメント)59年
ワルツ・フォー・デビィ リヴァーサイド(ビクターエンタテイメント)61年