その後、CDが登場して市場を席巻したあとは、残念ながらゲルダーがCDのプレスにいたるまでの過程を監修することはなかった。もともと、CDというメディアは「デジタルだから、収録するデータをどう扱っても音質は変わらない」のをウリ文句の一つにしていたわけで、アナログ信号をデジタル信号に変換する機材と、音楽のことよりもデジタル技術やコンピュータに詳しい技術者がいればそれで良いとされていた。ゲルダーのような録音技師の仕事は、ミュージシャンの演奏を、マイクなどの機材をつかって録音し、マスターテープをつくるまでで終わってしまっていたのである。
だが、最近は、CDの音質について、まだまだ改善の余地があることがはっきりしてきた。
CDが登場したそのときから、「ノイズがすくないだけで、肝心の音がやせている」「音に迫力とぬくもりがない」などといった批判の声はつよく聞かれていた。それを理由に、いまだにレコード・プレイヤーとアナログレコードを手放さない音楽ファンが予想以上に多いのである。演奏や音色の生々しさ、ライヴの臨場感やアドリブの迫力を求めるジャズは特にだ。
ゲルダーが録音したレコードも、別のエンジニアの手によってデジタル化され、CDとして発売されている。だが、ゲルダーの手になるレコードとは、あまりにも格が違った。といっても、僕はCD時代になってからジャズにはまったクチなので、かつてのブルーノートのレコードはいくつも聴いたことがないのだが、レコード全盛の当時を知る人からは、嘆くほかないほどの音質の差だったらしい。
そういったレコードとの「格差」を埋めるための試行錯誤の過程で、たんに機材やアルゴリズムの問題だけでなく、エンジニアのテクニックや音楽にたいするセンスなど、いわゆるヒューマン・ファクターがきわめて重要だということが分かってきた。音楽のことがわかっているエンジニアが、入念にCD化の工程をコントロールしたCDは、そうでないCDに比べて、はるかにすばらしい音で鳴るのである。技術的な進歩もあった。ほんらい16ビットで記録されているCDのデータを、20ビットの解像度でリマスタリングするという高解像度CD(20ビットK2リマスタリング、xrcd)などもそのひとつだ。いくつかの特筆すべき音質のアルバムが発売され、さらに次世代規格のあたらしいデジタル・オーディオの話もちらほらと聞くようになった。(つい先日、ソニーがSACDプレイヤーを発売しましたね)
そして、満を持して登場したのが、ルディ・ヴァン・ゲルダー自身が24ビット・リマスタリングし、アナログ・レコードに負けない音質と迫力をもった、『24
bit by RVG』シリーズだったのである。もちろん、そのレーベル面には、小さく、しかし誇らしげに『R.V.G』の文字が記されている。24ビットと、通常のCDの1.5倍の解像度をフルに活かして、ゲルダー自身がかつて録音されたソースを“再生”しているのだ。「いまならこう録る、いまならこう聴かせる」という彼のセンスが、ジャズのCDはこうあるべきだ、というお手本のようなCDを作ってしまったのである。
全100タイトルを購入し(当初はそんなつもりはなかった)、聴いてみた感じだが、どれもまさに宝物のようなCDだったと言っておこう。マニアとしては、これが完全限定盤で、店頭の在庫が無くなれば、もはや手に入らないという事実に満足感を覚えないでもないが、ジャズファンの一人としては、このCDが限定盤であることは大きな損失だと思う。これからジャズの世界に堕ちてくる若者がもはやこのCDに出会えないとしたら、これほどの不幸はない。東芝EMIさん、ぜひ限定解除(?)して、RVGシリーズをいつでも手に入るようにしてあげてほしい。そうなっても僕は許す。マニアのひがみは酒場で愚痴をたれるだけにしておくから、ぜひ!
さて、99年7月23日、ついに第2期シリーズがリリースされる。第1期シリーズと比べると、選定されたアルバム・タイトルは多少小粒になった気がしないでもない(第1期シリーズで『大物』はほとんどリリースされているのだから、あたりまえだ)。ざっと見渡したところ、第1期のなかの大物に匹敵するだけのアルバムは、『ソニー・ロリンズ
vol.1』と『ゴールデン・サークルのオーネット・コールマン』くらいなものか。
だが、ハービー・ハンコックの『スピーク・ライク・ア・チャイルド』や、『ヒッコリー・ハウスのユタ・ヒップ
vol.1&vol.2』など、見逃せない秀作が数多くある。やはり、これは揃えなければなるまい。どうやら今年の後半は、また金欠病にさいなまれる羽目になりそうである。