小泉喜美子 ミステリー作家 1934年2月2日 東京築地生まれ。 都立三田高校卒業後、ジャパンタイムズに勤務。 1959年エラリー・クイーンズ・ミステリマガジンの、第1回短編コンテストで準佳作に入選。(入選は、結城昌治「寒中水泳」) 1963年第1回オール讀物推理小説新人賞候補作となった「弁護側の証人」を、長編に改稿しデビュー。 (入選は高原弘吉「あるスカウトの死」) 当時の配偶者は、エラリー・クイーンズ・ミステリマガジン編集者で後に作家となった、生島治郎氏。 ペンネームの「小泉」は、生島治郎氏の本姓「小泉」(従って、小泉喜美子氏の当事の本姓)による。 生島氏との結婚生活を優先し、作家としての空白期間があったが、生島氏と離婚後、創作活動を再開した。 (このあたりの事情は、生島治郎著『浪漫疾風録』に詳しい) 翻訳家としても、アーウィン・ショー、クレイグ・ライス、P・D・ジェイムズ、ジェイムズ・クラムリイの紹介などを行った。 「ミステリーは美しく洗練されていなければならない」、 「ミステリーは大人としての余裕を持った、知的で遊び心のあるものでなければならない」として、ミステリーの紹介・評論 でも活躍した。 著作には、自己のミステリー感に添った、「都会的でしゃれた」作品が多い。 デビュー作『弁護側の証人』は、ベスト10クラスの傑作、と評価されている。 1985年11月7日、51歳の若さで急逝。 |
このページのタイトル・イメージ「ミステリーを好きになってね」は、小泉喜美子さんの遺作となった評論・エッセイ集『ミステリー歳時記』の帯より借用させていただきました。 小泉氏の創作・評論姿勢を端的にあらわし、ミステリー・ファンの心をも引き付ける、素晴らしい言葉であると思い、引用させていただきました。 著作権上の疑義が無いわけではない、と思いますが、大目に見て下さい。 |
弁護側の証人 | 文芸春秋新社・ポケット文春 | 1963.2 | 長編 |
集英社・集英社文庫 | 1978.4 | ||
出版芸術社 | 1993.11 | ||
ダイナマイト円舞曲 | 光文社・カッパノベルス | 1973.12 | 長編 |
集英社・集英社文庫 | 1980.12 | ||
暗いクラブで逢おう | 新書館 | 1976.8 | 短編集 |
徳間書店・徳間文庫 | 1984.5 | ||
コメディアン | 新評社・新評ミステリー | 1977.11 | 短編集 |
月下の蘭 | 双葉社 | 1979.10 | 連作短編集 |
徳間書店・徳間文庫 | 1985.7 | ||
またたかない星 | 集英社・集英社コバルト文庫 | 1979.10 | 短編集 |
歌舞伎輪講 | 小学館・創造選書 | 1980.5 | 戸板康二、フランシス・コナーとの鼎談集 |
痛みかたみ妬み | 双葉社 | 1980.6 | 短編集 |
ミステリーは私の香水 | 文化出版局 | 1980.11 | エッセイ |
文藝春秋・文春文庫 | 1985.7 | ||
殺人はお好き? | 徳間書店・徳間文庫 | 1981.1 | 長編 |
幻想マーマレード | 太陽企画出版・サンノベルス | 1981.5 | 短編集 |
女は帯も謎もとく | 徳間書店・トクマノベルス | 1982.2 | 連作短編集 |
血の季節 | 早川書房 | 1982.2 | 長編 |
文藝春秋・文春文庫 | 1986.5 | ||
やさしく殺して | 鎌倉書房 | 1982.10 | エッセイ |
殺人はちょっと面倒 | 中央公論社Cノベルス | 1982.11 | 短編集 |
メイン・ディッシュはミステリー | 新潮社・新潮文庫 | 1984.1 | エッセイ |
殺人は女の仕事 | 青樹社BigBooks | 1984.8 | 短編集 |
ミテリー作家の休日 | 青樹社BigBooks | 1985.3 | 短編集 |
男は夢の中で死ね | 光文社・光文社文庫 | 1985.5 | 短編集 |
ミステリー歳時記 | 晶文社 | 1985.11 | エッセイ |
死だけが私の贈り物 | 徳間書店・トクマノベルス | 1985.12 | 長編 |
殺さずにはいられない | 青樹社BigBooks | 1986.1 | 短編集 |
歌舞伎は花ざかり | 駸々堂出版 | 1986.1 | エッセイ |
ブルネットに銀の簪 | 早川書房 | 1986.6 | エッセイ |
時の過ぎゆくままに | 講談社 | 1986.10 | 短編集 |
講談社・講談社文庫 | 1990.1 |
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