黒猫荘
(mobile版)

[072号] [074号]
[入居者リスト]


MIDNIGHT WHISPERS
オーナー:瀬戸内七波

                      Since 2002/12/15


  77〜80件 
[HomePage]   ▼ 投稿する

67. 2003年03月04日 20時39分27秒  投稿:Tomo-s 
27号室Tomo-sです。

もしかしたら、僕のカキコでちょっと別の方向へ話が流れたかもしれません。
自分で読み返しても、ちょっと話の論点からずれた内容だったと思います。

僕が言いたかったこととしては、
言葉を扱うときの基礎として一定量の語彙は当然求められるが、
あくまでも「必要な語彙」というものは個人個人で異なるものであって絶対的なものはなく、
「うまく表現できないな」と感じることがあったらその時に自分で努力することが重要なのであり、
「日本人なら知っていて当然」「語彙をつけるためにすべからく古典文学を読むべし」と強制するのは言語道断、
ということです。
『日本語練習帳』からの引用はその話に関連して出したつもりなのですが、
話の流れにうまく合っていない引用になってしまいましたね。すみません。

その後の議論の流れに関しては、
「一般の人レベル」と「文章を書こうとする人のレベル」の話が混ざっているように思います。
また「語彙」と「表現」の意味するところにちょっと食い違いがあるように思います。
そこら辺の交通整理が必要かもしれませんね。
延長戦の時にはもう少し僕も考えをまとめて、会議室の方に書き込みたいと思います。

66. 2003年03月02日 23時07分26秒  投稿:nanami 
私と桐人さんの最初の話題とは、論点が少しズレてきてしまっているような気がしますが……

私が話を振っておいてこう言うのも何なんですが、
このままでは、他の住人の方々が書き込みにくいような気がします。
直接的にはミステリーと関係のない話題になってしまっていますし……
しかし私は議論好きですから、うまくまとめることもできません(汗)

というわけで、もし桐人さんとみわっち。さんがよろしければ、
私のHP「黄昏館」の別館「北斗館」の「会議室」で、
議論を続けてもらうことにしていただきたいのですが、いかがでしょう。

以前、「黄昏館」の掲示板でも、今回と同じように議論に発展して、
他の人たちが書き込みにくい状況になってしまったことがありました。
そこで「会議室」を作り、そこで思う存分議論をしてもらおう、ということにした経緯があります。

話をうまくまとめられない管理人で申しわけありませんが、
そういうことで、お願いできませんでしょうか。
65. 2003年03月02日 03時33分46秒  投稿:みわっち。 
語彙が少ないことを嘆く必要が無いってこといいたいんですよ。

少ない語彙なら少ないなりに。表現力や読解力さえ養えばそれで充分事は足りる、と。

本当に語彙が豊富ではないと「大衆に認められない貧困な知識」に拠って立つ表現しかできないのかな?

その「大衆」が「語彙が少ない」とおっしゃっていたのではないですか?

大衆が語彙が少ないからその大衆が知らないような語彙さえ使えば認められると思っておられるわけではないと思いますが……。

あと、例に出した美術品云々の話ですが、絵画にしてもなんにしても、一旦世に出てしまったものについては(その作者の製作意図が何処にあろうと)、いかなる解釈をされようとも、それは解釈する方の自由なんですよ。

繰り返し言いますね。小説にしても美術品にしても、その製作意図や主題が何処にあろうと、一度世の中に発表されたものならば、発表されたそれらの情報を受け取る側はどんな受け取り方をしてもいいのです。

発表者がその作品に形を変えて本当に伝えたかったことを汲み取るのも受け取り側の自由。作り手側が意識していなかった部分に光を当てて評価を下すのも受け取り側の自由。

結局、私が言いたいのは「Aと言う状況を表すのに適した語彙はBである」なんて決められないでしょ、という事。もちろん社会生活をおくる上で日常の社会規範に基づいた「決まり」はあるにしても(例えば結婚式では「切れる」「別れる」などの言葉は使わないとか)、創作活動等においては、むしろそういう規範からいかに脱却するのかっていう部分が大事なんじゃあないかなあと思うわけです。

もし仮に「Aと言う状況を表すのに適した語彙はBである」という概念が日常レヴェルであるとすれば、Aと言う状況を表すのに適した語彙としてCを説得力あるカタチで持ってくるところに創作活動の“肝”があるんじゃないのかな(もちろん、Cも特異な言葉ではなく、別な状況を表す概念として日常レヴェルで使う言葉)。

それは語彙が多くなくてはできないって事じゃなくて、少ない語彙でもそれをどのように使いまわすかというセンスが問題なわけで。語彙がどれだけ豊富でも、ステレオタイプでありきたりな使い方しかできなければ、せっかく豊富な語彙もいわば「宝の持ち腐れ」じゃないかなと思います(小学二年生だってお話を自分で作って友達に読み聞かせることはできるであろうし、逆に自由な発想で大人がきいたらビックリするような語彙の使い方をしているかもしれないのに、幼稚とか稚拙という言葉で切って捨てるのは物凄くステレオタイプな事ではないかと思うのですよ)。

語彙を多く持つ事は否定はしませんが、語彙が多くなきゃ話にならないぜ的な考え方には如何なものかと思う(要は使い方のセンスひとつ)わけで。本当は違うのかもしれませんが、そういう風に話が流れていっているかな、と私には思えたものですから乱入してみました。

でわ、また〜。
64. 2003年03月02日 02時20分17秒  投稿:桐人 
十分条件といっているのだからそれは一般的でなければなりません。
書き手の満足度というのは一般性に欠けます。
平均的な小学二年生と同じ程度しか語彙のない人間が小説を書き持込をしてどうなるでしょう。
自分が満足できる表現が他人にどう聞こえても良いという一人よがりな文章の書き方でなにができるでしょう。
僕はそんな、自分で書いて自分しか読まないような文章の話をしているつもりではありません。
大衆に売り出されている文章の話をしているつもりです。
確かに、大衆に売れている作家でも、自分さえよければと書いている人がいるかもしれません。しかし、それでも大衆受けするのは、その人が大衆に受ける文章を書くことのできるセンスを持っているからです。
表現と語彙は異なると僕は思います。
語彙とは自分の道具、表現とは自分の技巧。
僕が喩え話としてあげた一万語云々という話は語彙の話です。表現の話なら誰だって埋められます。小学二年生でも自分が満足できる、他人を放置した埋め方なら埋められるでしょう。しかし、それは大衆に認められない貧困な知識に基づいた稚拙な技巧でしかありません。鮮やかな技巧を見せるなら多くの知識が必要です。学校のテストじみているのは当然でしょう、語彙テストなのですから。しかし、それすら解けないならすばらしい表現は期待し難く思います。
美術家も同じく、好き放題描いたりするわけではありません。美しいと思う構図を考え、絵の主題も考えます。ダリとて何も考えず描いていたのではありません。

ところで、文章の書き方の話を僕はしているつもりです。普段読むとき、内容が良ければ稚拙でも読むことはあります。それは僕もななみさんと同じく語彙や表現を付加価値として捉えているからです。しかし、はじめにななみさんが表現が云々と質問されていたので、話の内容、発想などの才能の面は省いて考えました。僕が語彙に固執したのはそのためです。勿論、才能面も考慮するのならそこまで固執しません。

さいごに専門用語の話。
物理は厳しいですね。生物や科学なら親しむことが多いですが物理となると学生でなくなるとまず縁遠くなりますものね。まぁ、サラリーマンなどの職でなく研究職についた人は別ですが。
あと、同じく数学も厳しいでしょうね。

[NAGAYA v3.13/N90201]