黒猫荘
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オーナー:森下 祐行
この部屋を閉鎖する予定です。
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2559. 2007年11月16日 23時32分05秒
投稿:足立雅弘
18日の読書会はやはり行けそうもありません。
5賞関係の「ロスト・チャイルド」は本谷さんに渡すべき本ですが、まだ読み終えていません。送り付けてもよろしいでしょうか。
あと「もろこし銀侠伝」も購入しました。送り付けてもよい方は、お知らせ下さい。
2495. 2007年11月14日 21時55分08秒
投稿:モリシタ
なんだか、ものすごい勢いでスパメールが入ってくる。
消すのが追いつかないくらい。
(アレクセイさんの発言ではないですよ、念のため)
黒猫荘全体がスパメールにやられているようだが、この部屋だけ
勢いがすさまじい。なんなんだろう?
連絡事項も、埋もれてしまいそうだよ。
2482. 2007年11月14日 17時19分55秒
投稿:アレクセイ
☆ みなさま
元「怪の会」会員である、森下祐行さんのブログ「風の証言 - 押入れで独り言」の
(1) 2007年10月22日付け日記(無題)
(http://d.hatena.ne.jp/mystery_YM/20071022/1193061291)
(2) 2007年10月30日付け日記「今さらながらの、「新本格ミステリ」について」
(http://d.hatena.ne.jp/mystery_YM/20071030/1193752627)
のコメント欄においてくりひろげられた、私と森下さんとによる「新本格バッシングをめぐる議論」は、森下さんの何度目かの沈黙によって、ひとくぎりつけるべき段階に来たようです。
綾辻行人が、新装改訂版『十角館の殺人』(講談社文庫)のあとがきで言及した『すでに活動を休止した某探偵小説愛好会の一部メンバー』(すなわち、「怪の会」の当時の一部メンバー)によって行われた「新本格バッシング」について、森下さんは「新本格バッシングには加わっていないが、バッシングには共感的であった、怪の会会員の一人」として、「新本格バッシング」などというのは『被害妄想』の類だというような、「怪の会」擁護論を(1)の日記で展開されました。
そこで私は、当時の「怪の会」会員の一人として、かの「新本格バッシング」は正真正銘、品性下劣なものであったと証言する短文を、森下さんの日記(1)のコメント欄に書き込み、その結果、そこから今回の議論が始まったのでした。
議論の詳細についてはログを当っていただくとして、ここでは今回の議論の争点を象徴する、ある重要な一点についてのみ書かせていただきます。
今回の議論でポイントとなるのは、「怪の会の一部メンバーによる、新本格バッシング」に関して、森下祐行さんご自身は、「当事者」なのか、それとも「シンパ(共感的支持者)」に止まるのか、という問題です。
森下さんは、ご自身を「新本格バッシング」にすこし遅れた会員なので、「当事者」ではない。けれども「シンパ(共感的支持者)」ではあったから、自身にも「道義的な責任」は「認めている」という(ごくうすい間接責任の)立場を主張し(当事者としての直接責任を否認して)、その「非当事者」としての立場から「怪の会の一部メンバーによる、新本格バッシング」の正当性を認める主張(弁護・正当化)をなさいました。それが(1)の日記であり、その中の次の言葉です。
『ちなみに、いわゆる新本格作家が次々とデビューしていた頃、わたしは参加していないが、もし参加していたら、おそらくほとんどの作品に否定的評価を下していただろう。会報に掲載された座談会報告は、わたしにとって毎年の楽しみであり、大笑いしながら読んでいた。あれは面白い読物だった。』
しかし、森下さんのこの主張は「悪質なデマゴギー」でしかなく、私は次のように批判しました。
『森下さんの議論は、「新本格バッシング」を、綾辻行人らに対する「ごく初期」のものに「恣意的に限定する」ことで、ご自分を「実行犯」の圏外に措き、ご自分を「シンパ(心情的賛同者)」の範囲に止めようとするものです。
しかし、「新本格バッシング」というものが「新本格の初期」に限定して「問題」とされるのは、その頃、新本格作家は「少数弱者」であり、そうした「バッシング」が「孤立無援」感をかきたてて、精神的に彼らを苦しめたからなんですね。
逆にいえば、綾辻デビュー後5年も経って「新本格ブーム」が不動のものになった時には、まだまだ続いていた「怪の会の一部メンバー」による「新本格バッシング」は相手にもされなくなり、その意味で「問題」にもならなくなっていた、ということです。
つまり、「問題」とされる「新本格バッシング」は「新本格初期」のものに限定されますが、森下さんや足立さん、そして長谷部史親や縄田一男などの「怪の会の一部メンバー」による「新本格バッシング」は、「その後」も延々と続いていたのだということです。――つまり、森下さんもまた「新本格バッシング」の「実行犯」である、ということですね。
それを森下さんは、意図的に「新本格初期」に限定することで、自身を「実行犯」の圏外に措き、単なる「シンパ」であると見せかけた上で、「いや、新本格バッシングの共感者であったことを認めている」などと恩着せがましく言いながら、「実行犯」である事実を糊塗しているというわけです。――まあ「初歩的なトリック」と言えるでしょう。
それに森下さんが「怪の会」の会誌編集人として「新本格バッシングをした、怪の会の一部メンバー」の意向どおりに、私が投稿した「新本格擁護=長谷部・縄田批判」論文を、(森下さんの判断・責任において)恣意的に没にした(会則にそわずに没にした)という「事実行為」は、森下さん自身が「新本格バッシング」の「当事者」であり「実行犯」であることの、何よりの「証拠」です。
言い換えれば、「新本格を不当に叩く意見表明」と「新本格に対する擁護的評価を握りつぶす行為」は表裏一体のものであり、後者も十分に「新本格バッシング」に含まれるということです。
――無論、森下さんは「新本格初期」以降において、直接ご自分の言葉で「新本格バッシング」をなさった「実行犯」であり、決して「心の中で思っていただけで、口には出さなかった人」などではありません。そのように見せ掛けようと、あれこれ「言い訳」をなさっているだけです。』((2)- 2007/11/08 13:13)
このように森下さんは、「新本格バッシング」について、「二重の欺瞞」で読者(世間一般)を欺こうとしておられます。その第1点は「自分は、新本格バッシングの、当事者ではない」という「嘘」。第2点は、その嘘に立脚した「当事者ではないから言うが、新本格バッシングは、叩かれたと言っている方の被害妄想である」という主張です。
森下さんが「フェア(公正・正直)」な人であれば、後者の主張を「新本格バッシングの当事者」として堂々と開陳したはずですし、またそうすればよかった。それならそれは、聞くべき意見として一考の価値は持ち得たでしょう。
しかし現実には、森下さんは、「新本格バッシング」の「行為責任」を、欺瞞的に隠蔽・回避したところで、その立場を偽って「無責任な意見」を開陳したにすぎません。これは、森下さんご自身、「新本格バッシング」という「自身の、過去の行い」について、「後ろめたさ」や「やましさ」を感じているという何よりの証拠であり、こうした逃げ腰で語られる主張が信用ならないものであるというのは、論を待たないと言えましょう。
要は、森下さんの「怪の会は悪くない」という主張は、たとえそれが世間に受け入れられなくても、ご自身だけはすこしも傷つかない(責任を問われない)安全圏から発せられている、ということです。つまり、森下さんのご意見が世間に入れられず「新本格バッシングをした、怪の会の一部メンバー」は「有罪」だと判定されたとしても、森下さん自身は「弁護人」であって「被告人=当事者」ではないのですから、責任は問われない(問われるべきではない)と、そう ご自分で主張なさっているんですね。
「(当事者)責任があるのは、実行犯である長谷部史親・縄田一男・細谷正允・横井司といった、ごく初期から新本格バッシングに加担していた(森下さんを楽しませてくれた)メンバーにかぎられる(私に責任はない)」というのが、――仲間を置き去りにして、自分だけさっさと逃げ出す(それでいて、義理堅い「擁護者」づらをしてみせる)ことを恥じない、「ニセ弁護人」たる森下さんの立場なのです。
こういう人たちによって担われた「新本格バッシング」の実際がどのようなものであったのか、それを当時の資料(怪の会の会誌『地下室』等)を示して説明するのは簡単です。しかし私が、森下さんの日記(1)への最初のコメントの冒頭で、
『私は当時、「怪の会」の会員でしたが、「怪の界」の新本格叩きは、とにかく程度が低かった。端的に言えば「下品」でした。(以下略)』 (2007/10/24 00:28)
と、当時の「新本格バッシング」メンバーの品性を否定的に断じたのが、誇張でも何でもなかったというのは、「怪の会」なき後、その「新本格バッシング」のメンバーと遺志をひきついだ「屋根裏の散歩会」の世話役・責任者である 森下祐行さんの、今回の議論における言動を見れば、自ずと明らかなのではないでしょうか。
――そしてこれは、「新本格バッシング」を生み出した「アンフェア精神」が、今も彼らの中に生きている、何よりの証拠だとも言えるでしょう。
【「新本格バッシング論争」関連】
・ ブログ「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂」
「十角館の殺人 新装改訂版 綾辻行人」(2007年10月22日)
(http://blog.taipeimonochrome.ddo.jp/wp/markyu/index.php?p=1403)
・ ブログ「風の証言 - 押入れで独り言」
2007年10月22日付け日記(無題)
(http://d.hatena.ne.jp/mystery_YM/20071022/1193061291)
2007年10月30日付け「今さらながらの、「新本格ミステリ」について」
(http://d.hatena.ne.jp/mystery_YM/20071030/1193752627)
・ 掲示板「屋根裏」
(http://www3.wind.ne.jp/kobashin/cgi-bin/nagaya/nagaya.cgi?room=052)
・ サイト「屋根裏通信」
(http://www.asahi-net.or.jp/~JB7Y-MRST/index.htm)
・ 「屋根裏大賞」のページ
(http://www.asahi-net.or.jp/~JB7Y-MRST/YUT/GOS/GOS_F.html)
・ BBS「アレクセイの花園」
「「新本格バッシング」の記録」(2007年10月25日)
(http://8010.teacup.com/aleksey/bbs?BD=6&CH=5&M=ORM&CID=1688)
「「怪の会」は死なず ――「地下室」から「屋根裏」へ」(2007年10月27日)
(http://8010.teacup.com/aleksey/bbs?BD=6&CH=5&M=ORM&CID=1689)
「真相解明にインシテミル?」(2007年10月30日)
(http://8010.teacup.com/aleksey/bbs?BD=6&CH=5&M=ORM&CID=1691)
「多数派の無自覚な専制と、元多数派の自覚的な姑息(前後)」(2007年11月5日)
(http://8010.teacup.com/aleksey/bbs?BD=6&CH=5&M=ORM&CID=1694)
(http://8010.teacup.com/aleksey/bbs?BD=6&CH=5&M=ORM&CID=1695)
【参考】
・ ブログ「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂」
「本格ミステリ・クロニクル300 / 探偵小説研究会」(2007年11月4日)
(http://blog.taipeimonochrome.ddo.jp/wp/markyu/index.php?p=1420)
・ ブログ「風の証言 - 押入れで独り言」
「『私家版・ユダヤ文化論』内田樹 文春新書」(2006年8月28日)
(http://d.hatena.ne.jp/mystery_YM/20060828/1156770330)
「「本格ミステリ冬の時代」はあったのだ」(2007年7月14日)
(http://d.hatena.ne.jp/mystery_YM/20070714)
「「本格ミステリ冬の時代」はあったのだ――その2」(2007年7月16日)
(http://d.hatena.ne.jp/mystery_YM/20070716)
2387. 2007年11月12日 22時49分22秒
投稿:本谷啓理
モリシタさん、森田さん:
はい、わかりました。
結局、あるだけかついでいくことになりそう(汗)。
「消えずの行灯」は面白そうなので、買おうと思っとります。
来月までに入らなければ、お貸ししますよ。
ただいま、「ルームシェア」を読み中。
これは……、新人には入らないよなあ、少なくとも片方が。
[NAGAYA v3.13/N90201]