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MIDNIGHT WHISPERS
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  ミステリーサイト「黄昏館」管理人、瀬戸内七波の部屋です。
  楽しくミステリーの話をしましょう。ただ、海外物は弱いですが。
  読書より執筆の方がメインですので、読んでいる本の数は少ないです。

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63. 2003年03月01日 11時56分42秒  投稿:nanami 
 [http://www.kisweb.ne.jp/personal/tasogarekan/]
ごたごたしている間に、お返事が遅くなってしまいました。
私と桐人さんの議論が、いつの間にか、みわっち。さんとTomo-sさんを巻き込んだ(?)
白熱した議論になっているようですが……
こうなると一人一人にレスを付けるのはちょっと難しいようなので、
私の意見をまとめてみましょう。

私の場合、人と話をしていて、通じないことがよくあります。
私から相手に、相手から私に、と、どちらもです。
それは語彙数の問題ではないのです。
だって、相手の話している言葉の中に私の知らない言葉なんて一つもないし、
その話を聞いている他の人(私以外の人たち)には、ちゃんと伝わっているのです。
ただ、私はよく、人の話している意味を別の意味に解釈してしまうだけなのです。
修飾語を省略されたり、指示語を使われたりすると、それはよく起こります。
他の人には、その指示語が何を表わしているのかすぐに分かるのでしょうが、
私は何の疑問も抱かないまま、別のもののことを指しているのだと勘違いしてしまうのです。
だから国語の成績が悪かったのかもしれませんが……

と、いうわけで……
言葉というものはしょせん、人から人へとメッセージを伝えるための媒体に過ぎません。
語彙が多かろうが少なかろうが、綺麗であろうが汚かろうが、
相手にちゃんと伝わりさえすれば、必要最低限の役割は全うされているのです。
もちろん、それが全てではありませんけれども。
豊富な語彙を持っている人同士が綺麗な日本語で話していても、
相手にうまく伝わっていなければ、何の意味もないのです。
言葉は綺麗であることに越したことはありませんが、
それは付加価値でしかないと私は思います。
また、豊かな表現をするためには、語彙が多いに越したことはありません。
しかしそれは表現する立場にある人(作家や評論家など)に必要なだけであって、
一般の人にはそれほど必要なことだとは思えません。
だって、小説に書いてある言葉の意味が分からなくても、その人以外誰も困りませんし、
それが嫌だったら読まなければいいだけの話です。
一般の人が、何か文章を書かなければならなくなった時には、
その時に辞書なり何なりで調べれば、それですむはずです。
書くことを職業にしているわけではないのですから。

そして小説や論文などという、多くの人に読まれるための文章については……
小説は読み手それぞれの解釈の仕方があってしかるべきですし、
そもそも思考体系が違う多くの人が、同じ解釈をすることなどあり得ないでしょう。
読む人全員に同じ解釈をしてもらおうと思ったら、
論文のような形になってきて、そこに主観は入りません。

要するに、語彙数が多いに越したことはないけれども、
全ての人に必要なわけではない、ということになるのでしょうか……
[210.141.152.241][Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90; Lunascape 1.03)]

62. 2003年03月01日 10時42分38秒  投稿:みわっち。 
徹夜明けの13号室みわっち。です。

>桐人さん 

<その状況でぴったりの表現をできるようになるための十分条件は何か?

 答えは簡単ですよ。表現する人自身の満足度。表現をする人自身が、ある状況をこの言葉でちょうど上手く言い表している、と思うことができればオッケイです。それが他人に如何聞こえようと。

<一万の様々な状況を文にした例文があり、その文には一つずつ空欄があります。その空欄に、<もっとも適切な単語を埋めよ。
<こうあれば、必要条件が定まります。解答者は一万個の単語を知っている必要があります。
<しかし、たとえ十万の単語を知っている人がいても完璧に解答できるでしょうか?

 これも甚だ疑問です。言語表現はそれを発する各個々人の感性に拠って立つところが大きいはず。こういう学校のテスト的発想が自由な発想(自由な言語表現)を規制しているんじゃあないかな。

 たとえば二人の人が同じ美術品を見て、その「美」について「どんな美しさなのか」という表現は全く違うものであって好いはず。それが個性とかオリジナリティってものじゃないのかな。Aという美術品の美しさを表現するのはαという言葉で無ければいけない、なんてことはないのですから。ある人にとってはαであっても、別の人にとってはγかもしれないはず。

 もし「αという表現ができなければ美術品Aの魅力は伝えられず、γという表現は間違っている」とするならば、それは思想統制以外の何者でもないです。

 美術品とかじゃなくても、芸能人の評価でもいいですよね。ミステリ作品に対する感想でもいい。同じタレントやミステリでも見る人読む人が違えば全く違う答えが返ってきたっていいでしょう。10人が10人とも同じ答えを出さなければいけないってのは単なるテスト問題であって、本当の意味での豊かな言語表現とは180度違うことなんじゃないかな。
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61. 2003年02月28日 01時44分55秒  投稿:桐人 
試験勉強しないと行けないので少しだけ。。。

大野すすむの話について。

そのときぴったりの表現をできればいい。
そのとおりなのです。
でも、そこで問題なのは、その状況でぴったりの表現をできるようになるための十分条件は何か?ということです。
単語を千個知っていれば必ずどんな事態にも対応できるでしょうか?
たとえ、単語を一億個知っていても必ずという事態は生まれません。
逆に必要条件を見てみましょう。
たとえば皆様の前に紙があります。そこには一万の様々な状況を文にした例文があり、その文には一つずつ空欄があります。その空欄に、もっとも適切な単語を埋めよ。
こうあれば、必要条件が定まります。解答者は一万個の単語を知っている必要があります。
しかし、たとえ十万の単語を知っている人がいても完璧に解答できるでしょうか?
一つでも自分の知らないものがようそうに反してそこにあればそこで終わりです。つまり、受験勉強と同じく、十分条件は定まらないのです。
文を書く人間であるならば、一生の内に何億もの文を書くでしょう。
すべてを完璧にすることは恐らく不可能です。なにせ、十分条件は存在しないのですから。
ですが、物書きたるものできるだけ多くを適切なものにすべきです。
それゆえに、語彙は必要なのです。
そう考えます。
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60. 2003年02月27日 14時28分46秒  投稿:Tomo-s 
 [http://kawasemi.gaiax.com/home/tomos]
27号室Tomo-sです。ちょっとお話に便乗。

僕もいま(文学ではないですが)文章をたくさん書かなければいけない状況で、
「文章の書き方」の類いを改めて読み直しているのですが、
今ごろになって読んでいる大野晋『日本語練習帳』に、
何でもかんでも難しい言葉を覚える、というのではなく、
その時にぴたっと使える表現を覚えているかが大事だ、
類語辞書はそういうときのためのものだ、とありました。

「必要な語彙」という話になると、日常会話のレベルから専門的な学問のレベルまで、
要求水準がまったく異なるはずですから、
必要・不必要の絶対的な基準を決めることはまず無理でしょう。
(たとえば、物理の先端的な内容について論じるための語彙と、
 それを一般の人にも分かりやすく論じるための語彙は別物です)
むしろ、自分が言いたいことを的確に表せないという経験があって、
それを出発点に語彙を増やすべく辞書を引いたり本を読んだりする、
それで十分じゃないかと思いますよ。
必要だからこそ、個人個人で言葉の引き出しを増やしていく、という感じで。

「最近の若者の国語力が落ちている」という時の「国語力」というのは、
「一般的な社会生活を送るための国語力」、もっとあけすけに言ってしまえば、
「ビジネスのために必要な国語力」「受験の問題文を読むのに必要な国語力」
でしかないように思います。
それはそれで無いと困る能力ですし、実際そのレベルすら達していない人も多いのでしょうが、
この国語力が絶対というわけではないはずです。
いわゆる若者言葉とか顔文字とか2ちゃんねらー語(という言い方は正しいのだろうか)でも、
「自分の言いたいことをドンピシャで表現できる」という点では、
同等の表現力を持っていると思うので。

古典も含めてうまい文章に数多く触れることが国語力をつけるためには必要だと思いますが、
それを「学校で古典を読ませるべき」というような「べき論」に持っていったり、
「さもないと良き日本語が滅亡する」という話に持っていってしまうような、最近の国語論議の一部には、
それこそ「役に立つからと方程式を解かせる」ものではないかとちょっと疑問を持ってます。

長文失礼しました。
今度はもっと気楽な話題で参ります。(^_^)
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59. 2003年02月27日 09時57分14秒  投稿:みわっち。 
13号室のみわっち。です。

ズレたことをいいますね。語彙など豊富でなくっても平気なのでは。所詮、各時代の作家たちはその時代と言うタームから逃れられなかっただけではないでしょうか。各時代時代では当たり前だった表現を当たり前に使っていただけでは。それを後世の人間が見て「語彙が豊富」といっているだけなのではないのかな。

ミステリでいえば「平易な文章の天才」江戸川乱歩の作品は長い年月を何度も何度も復刊されて読み継がれてきましたが、同時代(戦前から作品を発表している)の作家は正直ここ数年の復刊ブームというものに乗っかるまでは、入手すら困難になっているものが少なくありませんでした。その差異を「文章の読みやすさ」にだけ求めるのは間違っていると思いますが、少なくともその文章の読みやすさが読み継がれてきた原因の一つではないでしょうか。

平易な文章=語彙が少ないと言う訳ではもちろんありませんが、小説という文章は他人に読まれることを大前提にしているわけですから、その文章が読みにくければ(語彙の少ない現代人に読みにくいと感じさせるものであれば)いくら語彙が豊富にあっても、好んで読む人は少ないでしょう。

……てなところで、時間切れ。
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58. 2003年02月27日 08時06分39秒  投稿:nanami 
 [http://www.kisweb.ne.jp/personal/tasogarekan/]
>桐人さん
  桐人さんが全ての人に本を薦めているわけではないということは分かっていますよ。
  ただ、本を読みたくない人もいるんだ、というだけの話です。
  桐人さんのご意見を否定しているわけでもありませんしね。
  ただ、日本語を読んだり書いたりするのが多いからといって、
  世の中をそんなに悲観しないでください、と、そういうことを言いたかったのです。
  何しろ日本は識字率100%を誇っているんですからね。
  それだけでも大したものです。

  『パラサイト・イヴ』の注釈は、薬学の分野ではそんなに難しいものではないのですが、
  一般の人にしてみれば、かなり難しいことを書いていると思います。
  それが理解できたのなら、桐人さんがすごいんだと思いますよ。
  あと、化学・生物系のことなら、あるある大事典などで簡単なことについては
  触れたりしているので、あれらの番組の内容が信用できるものかどうかは別として、
  一般の人たちにも、多少は親しまれているでしょう。
  でも、物理系のこととなるとどうでしょう。
  分からない人が極端に増えるんじゃないでしょうか……
[210.141.152.190][Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90; Lunascape 1.03)]

57. 2003年02月27日 01時12分06秒  投稿:桐人 
確かに語彙は僕の周囲の人はかなりのものだと思います。
大学受験のために勉強している人間ばかりなので自然とそうなります。
その中でもやはり最近は本を読まない人が増えているようですが。

ストーリーを追うことすら煩わしいという云々についてですが、僕は別に世の中のすべての人に読むことを勧めたいというわけではありません。
もしそうとらえられてしまったのならば釈明しておきます。
僕も生物学の論文を書く際に三島由紀夫や森のような日本語を書いて欲しいとは別に思いません。
それはやはり、その文章の価値が、文にあるのではなく内容にあるからでしょう。
よむひとがわかればいい文章さえ書けていればよいと思います。
数学の証明の際にも、きれいな日本語など必要ありませんし、僕も証明の際にそのようなことを心がけてはいません。
そのような道に進んだ人は必要のないきれいな日本語は排除し、専門分野の知識をひたすらに増やすことが大切だと思います。ただ、その知識をずぶの素人でもきちんと理解できるように説明できないようになっては一人よがりの秀才になってしまうので、それはできるようになっているべきだと思います。いくら難しいことでも、きちんと段階を追って説明できるのが本当に頭のいい人だと思いますから。
しかし、小説家や評論家は、内容もやはり大事ですが、文の組み立て方、単語の選び方など、そこまでを自分の価値として売り出しているのだから、それなりの日本語を書くべきだと思います。
たとえば倫理学の論文で論点がずれたものを提出すると教授による諮問会で恐ろしく非難されます。
やはりそれらを専門としていきる人は文の構造理解、文体、論法をきちんと勉強するべきだからでしょう。
つまり、自分に必要なことはしなければならない、ということですね、端的にいえば。尤も、そんなことは誰もがわかっていることでしょうが。

僕ら高校生はそのように排除することなく、大学入試の為に古典文法を学んだり源氏物語を読んだり、さまざまな論説文、表論文、随筆を読むことを余儀なくされます。
勿論、数学の公式も覚えますし、化学の公式やRNA転写に免疫反応、仏像の名前や政変の起こった年代までも覚えます。
僕はそれらの勉強の中で、大量に本を読んでいることが役に立っています。興味で読んだ微積分の本、パラサイト・イヴに触発され少し学んだ遺伝子やミトコンドリア、歴史小説や逆説の日本史、好きで呼んだ伊勢物語。
それらはどこかで役に立ちました。僕はそれを実感したから、同年代の友達に、本は読んだら得すること有るよ、読まないことで損することはないけど、といっています。
やはり現代文の問題など、今までの人生で何一つそのような本を読まずに来た人と読んできた人では差が少なからず出るものですし。

専門用語、パラサイト・イヴについていたものは容易に理解できたのですが、やはりそれより難しいことを扱っているんですかね、最先端となると。
というか、パライヴが容易過ぎるないようだったのかもしれません。
でも、今思うとパライヴの瀬名秀明(論文は本名の鈴木秀明で書いていますが)は、かなり理系畑の方なのに普通に上手だったなぁ、文章。すごいですね、瀬名さん。

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56. 2003年02月25日 22時48分57秒  投稿:nanami 
 [http://www.kisweb.ne.jp/personal/tasogarekan/]
>桐人さん
  書き込みありがとうございます。
  語彙が低下しているのは、別に高校生に限った話ではありません。というかおそらく、
  桐人さんの周囲の人の方が、私の周囲の人よりも語彙は豊富だと思いますよ。
  私は完全に理系の研究室にいますから、本どころか日本語自体を読まない人たちばかりです。
  私の他に一人だけ、私よりも本を読んでいる人がいますが、私たちは特殊な部類に入ります。
  「所為」が読めないことぐらい、普通です。
  いや、読める人って、おそらく2、3人しかいないんじゃないかと思います。
  というか、論文を書いても日本語になっていなかったり、それ以前に、
  「今までどうり」とか平気で書いている人すらいます。
  もう三十歳なのに(私が、ではありませんよ)。
  というわけで、桐人さんのおっしゃることは尤もです。
  先人の残したものを読むことは大事です。それは私も賛成です。
  ただ、世の中には、本どころか、漫画やテレビドラマのストーリーを追うことすら、
  煩わしいという人もいるのです。
  だけど彼らは決して頭が悪いわけではなく、創作された物語そのものが嫌いなだけなのです。
  方程式ならいくらでも頭の中に入ってくるけれども、
  物語なんて(たとえ実話や雑談であっても)興味がない、というわけで、
  要するに趣味の問題ですね。
  私は他人に「本を読みましょう」とは決して言いません。
  それは数学の嫌いな人に「この方程式を解いてください。将来、あなたの役に立ちますから」と
  言っているようなものなのです。
  私のいる環境においては、多少日本語ができなくても、漢字が書けなくても、生きていけますが、
  専門用語を知らないと、生きていけません。
  まあ、そういうようなことです。

  専門用語について、注釈を付けたこともあるんですが、
  注釈そのものの意味が分からない、と言われました。
  注釈に使われている言葉の意味がまず分からない、と言うんですね。
  で、その言葉の意味の注釈が必要になります。
  科学の最先端で用いられている用語を一般人に分かりやすく説明するのは、
  そんなに簡単なことではないんですよ。けっこう疲れます。

  ……言い方が少々きつかったかもしれません。
  でもこういう言い方をするのは、私が真剣な時なので、悪く思わないでくださいね。
  私、どうしても議論モードに入ってしまうんですよね。
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55. 2003年02月25日 19時50分32秒  投稿:桐人 
語彙は最近低下してる気がします。。。
でも、僕以上に心配されるのが最近の高校生の語彙。といっても、僕もまだ高校生ですが。
一番驚いたのは「所為」を読めない人がいると知ったときでした。
おもえば、明治大正昭和の文豪達は幼少の頃から完璧な英才教育を受けつづけたためやはり著作からはその知識の端々がにじみ出てきています。近年、山本周五郎あたりからでしょうか、伝えるものが重視され、文章についた装飾が剥がされることを美徳とするようになったのは。
そして今では、文体より中身の面白さが重視されかたい文体でかかれたものは読んでいて疲れるという印象しか残さないようになったように思います。
たしかに、何の予備知識もなく先人達の難解な文章に挑むのは困難かもしれませんが敢えて乗り越えることで得る物は、語彙力だけでなく読解力、思考力などさまざまなことがあるように思います。
やはり鴎外までとはいいませんが三島由紀夫を見習い美しくありたく思います。
平野啓一郎などもいいかもしれません。

さて、長々とすみませんでした。
現在自らの所持する語彙の補遺はやはり先人の文章を読み漁るに勝る方法はないのではないでしょうか。あとは、受験用の漢字の本をこなしたり、漢字検定の本を読んだり、古典を読んだりではないでしょうか。
やはり、古典は長く愛されるだけありそれなりの価値があります。予備知識として知っておくだけでも有効活用の場はいくらでもありますし。

あと、用語ですが、これは注釈をきちんとつければどこまででもいけると思います。
ただ、注釈はやはり客観的に見てわかるようにする必要があるので、あまりその筋に詳しくない人に注釈を読んでもらい概容を捉えることができるかどうか調べておいたほうがいいと思います。



[211.13.28.140][Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt; Lunascape 1.03)]

54. 2003年02月23日 23時01分51秒  投稿:nanami 
 [http://www.kisweb.ne.jp/personal/tasogarekan/]
読書が進まない私……
短編を1編、HPにアップしました。
まあ、執筆がはかどってるから、いいか。
[210.141.152.98][Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90; Lunascape 1.03)]

53. 2003年02月22日 21時32分29秒  投稿:nanami 
 [http://www.kisweb.ne.jp/personal/tasogarekan/]
>里崎さん
  書き込みありがとうございます。
  執筆の真似事でもいいです。ぜひ拝読させていただきたいものです。
  私も悩んでおりますが、語彙はどうしたら増えるんでしょうね。
  脳の容量に限界があるのでしょうか……(汗)
  私は類語辞典や逆引き辞典は使っておりませんが、
  普通の国語辞典(←当然ですが)や広辞苑、英和辞典は愛用しております。
  あと、漢和辞典ですね。
  キャラクターの名前は、短編の場合はけっこうその場の思いつきで
  付けることが多いのですが、
  長編の場合はその漢字の持つ意味なども考慮に入れて付けるので、
  けっこう漢和辞典は重宝します。
  長編では全ての登場人物(ただの使用人も含めて)の名前に、
  何らかの意味やつながりを持たせています。
  本文の内容とは全く関係ありませんが……

  『山伏地蔵坊の放浪』はずっと前から積ん読だったんです。
  読むのが遅いので、まだ最初の1話しか読んでいませんが。
[210.141.152.250][Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90; Lunascape 1.03)]

52. 2003年02月22日 12時27分12秒  投稿:里崎 
こんにちわ。68号室の里崎です。
わたしも恥ずかしながら執筆の真似事をしておりますのでちょっとおじゃましました(^^;

私は語彙は全然ありません。それを補う為に類語辞典を3冊使っております。
同じ「太陽の光」でも、「日差し」「陽光」「日光」「薄日」「曙光」「朝日」「夕日」
「西日」「春光」「冬日」「天日」…、などがあって参考にしてます。
あと、逆引き辞典もかなり便利ですよ〜!!
それでも、語彙力が身に付かないところが悲しいんですよね。(T_T)

nanamiさんのキャラクターの名前はすごく好きです。愛が感じられます!

有栖川有栖の『山伏地蔵坊の放浪』は私も最近読みました。楽しかったですよ。
じゃあ、またおじゃまいたしまーす。
[210.133.162.151][Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)]

51. 2003年02月22日 11時54分50秒  投稿:nanami 
 [http://www.kisweb.ne.jp/personal/tasogarekan/]
>桐人さん
  なるほど。確かに語彙の問題はあるでしょうね。
  私って、小説書いてる割には語彙数少ないですし(汗)
  韻に限らず、語彙は多いに越したことはありませんし。
  あと私が時々思うのは、どれくらいの専門用語までなら、書いてもいいんでしょうかね。
  特に理系的な話を書く(長編では)私としては、読者がどれくらい理解できるんだろう、
  とか思ったりします。なるべく分かりやすく書いているつもりですが……
[210.141.152.112][Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90; Lunascape 1.03)]

50. 2003年02月21日 23時57分50秒  投稿:桐人 
表現に縛りがかかるかどうかはそのときの思いつきと語彙の問題だと思います。
後から考えると、簡単に踏める韻も、その時々によっては思いつかないときもありますし。
だけど、その微妙に縛られた中でいかにかくかっていうのが楽しいと僕は思ったりするのです。
だからラップが好きなのかもしれません。
[211.13.30.159][Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt; Lunascape 1.03)]

49. 2003年02月21日 23時32分57秒  投稿:nanami 
 [http://www.kisweb.ne.jp/personal/tasogarekan/]
昨夜(というか今日未明の3時半)、折原一『セーラ号の謎―漂流者―』読了。
1年以上ぶりぐらいに、折原ワールドに引きずり込まれました。
が、うー、眠いです。今朝起きたのが6時半ですからね。睡眠時間3時間。
そして今朝から、有栖川有栖『山伏地蔵坊の放浪』読んでます。
っていうか私、こんなことしてる場合じゃないんですけど……
[210.141.152.225][Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90; Lunascape 1.03)]

48. 2003年02月19日 22時40分04秒  投稿:nanami 
 [http://www.kisweb.ne.jp/personal/tasogarekan/]
読書も執筆もはかどらないnanamiです。

>桐人さん
  実際にいそうな名前にする、というのは私も心がけています(PNなどを除いて)。
  でも対句や押韻はやってませんね。そこまで手が回らないというか……(汗)
  そういうのをすると、表現に縛りがかかってしまうような気がするのですが、
  そういうことはないのでしょうか?
  やったことないのでよく分からないのですが。
[210.141.152.177][Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90; Lunascape 1.03)]

47. 2003年02月19日 00時16分13秒  投稿:桐人 
こんばんは。
執筆されている方への質問というのが目にとまり訪れさせていただくことにしました。

僕は名前をいそうな名前にするのとリズムよくする(対句とか韻踏みとか)ぐらいです。
あと、自分で面白いと思う表現方法で書きます。
[218.42.76.4][Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt; Lunascape 1.03)]

46. 2003年02月17日 07時42分44秒  投稿:nanami 
 [http://www.kisweb.ne.jp/personal/tasogarekan/]
昨夜から久々に折原一読んでます。
『セーラ号の謎――漂流者――』。
またまたいつ読み終わるか分かりませんが……
とりあえず今週から来週前半にかけて、忙しくなりそうです。
それはともかく……
執筆をされている方に質問。

執筆をする時に、心がけていることは何ですか?

ちなみに私は、漢字の使い方にけっこう気を使っています。
あとは……登場人物の名前には凝っていますね。
[210.141.152.30][Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90; Lunascape 1.03)]

45. 2003年02月14日 23時37分47秒  投稿:nanami 
 [http://www.kisweb.ne.jp/personal/tasogarekan/]
森博嗣『地球儀のスライス』ようやく読了。
明日から何読もうか考え中です。
最近、どちらかというと執筆の方が進んでる感じ……
[210.141.152.7][Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90; Lunascape 1.03)]

44. 2003年02月04日 22時28分47秒  投稿:nanami 
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昨夜から森博嗣『地球儀のスライス』読み中。
忙しいし、ドライアイで目が痛いので、
読書ペースは今まで以上にスローになりそうです(涙)
[210.141.152.65][Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows 98; Win 9x 4.90; Lunascape 1.03)]

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