今日の人違い(1999年10月28日)
今朝、私はいつもの通り電車に乗っていた。
私は扉のところに立って、外をぼんやり眺めていた。
途中の駅に電車が停車して、扉が閉まり走り出してしばらくしたとき、近くのシートに座っていた女の人が立ち上がって私に何か話しかけてきた。
はじめ、何を言っているのかよくわからなかったが、私は、電車の行き先か、あるいは停車駅について聞かれているのだと思った。
ところが、よく聞くとそうではなくて、「あなたは、イノさんですか?」と聞いているのだった。
残念ながら、私は「イノさん」ではなかったので、「違います」と答えた。
相手は「あっ、そうですか...」と言って、戻っていった。
その人に、何年もの間顔を合わせていない知り合いがいて、私がその人に似ていて、それで思わず確かめに来てしまった、という感じだった。
私は、その人のことを知らなかったが、もしかしたら、小学生とか中学生とかの頃の、かつてのクラスメートだったのかもしれない。
何となく、どこかで見たことがあるような、あるいは、記憶をたどっていくと、あるところで突然浮かんできそうな誰かであるような気もした。
もしかしたら、「違います」と答えずに「違います○○です」と、自分の名前を言うべきだったのかもしれなかった。
その人は、「そうです」という答えを、かなりの確率で確信していたような感じがあったからである。
私のことを覚えてはいたのだが、名前だけはいつの間にか他の誰かと入れ替わってしまったということだったのかもしれないのである。
しかし、それに気づいたときにはもうその人は戻っていってしまったあとだったので、わざわざ確かめに行くのもためらわれ、結局確かめないまま私は電車を降りてしまった。
それでも、実は勘違いをしているのは私の方であり、もしかしたら「すっかり忘れていたけど、よくよく考えてみたら、自分は本当はイノだった」ということもあったりするかもしれないと思って、定期券や免許証の名前の部分を調べてみたが、やっぱり「イノ」ではなかった。
ところで、これに関して、事実はもう少し違ったところにあったのかもしれない。
私が、その人にとって「知り合いかもしれない人」だったのではなく、その人にとって「知り合いである人」だったのかもしれないということである。
わかりにくい言い方であるが、つまり、簡単に言うと、その人にとって、私が「知り合いのイノさんに間違いない」人に見えてしまったのかもしれないのである。
もちろん、そうだとしたら、「イノさんですか?」などとは聞かず、「おはようございます」というあいさつをするはずであるが、しかし、もしも、イノさんがここにいることは120%あり得ない、というような状況にその人が置かれていたのだとしたら、そういう聞き方をしてしまうこともあり得なくはない。
「イノさんですか?」
「もちろんです」
「だって、何でこんなところに...?」
「いや、実はですね...」
私は、最近こういうことが多い。
先日も、ある人から、私が、その人の知っている人に「驚くほど」似ているという指摘を受けた。
「驚いた」程度がどのくらいのものかはわからないが、印象としては、相当似ているらしいという感じだった。
今日の出来事も、それと同じように「そっくりだった」という話なのだったとしたら、もしかしたら、私のまわりには、私と似ている人がごろごろしているのかもしれない。
近いうちに、街を歩いていて、自分とそっくりな人にばったり会ってしまうのではないだろうか。