今日の電気カミソリ(1999年10月19日)

今日、電車の乗り換えを急ぐために駅の構内を走っていたら、急にどこからかちょっとした機械音が聞こえてきた。

はじめ何の音なのか分からなかったが、私の進む方向からその音は聞こえてくるのだった。
さらに10メートルほど進むと、その音の正体が判明した。

1人の中年男性が、電気カミソリでひげを剃りながら歩いていたのである。

あいにく、私は急いでいたので、仔細に観察することはできず、ほとんど一瞬の間に通り過ぎてしまったのであるが、それは特別の印象として私の中に残った。

念のため言っておくと、それは、朝ではなく今日の夜の出来事である。

朝、車の中でひげを剃っている人というのはよく見かけるし、女の人の場合、信号待ちのたびにメイクをしていたりして、そういうのを見ると、ある意味でのどかな感じもして、ごく普通の朝の風景としてやり過ごすことができる。
もちろん、電車で出勤する場合も、どうしてもひげを剃っている時間がなかったから、やむを得ず駅で剃ることになったということもなくはないだろう。
そして、それが、トイレのような鏡のあるところでなくて、歩きながらである、ということも場合によってはあるかもしれない。

人によっては、出勤が常に朝であるとは限らないので、夜出勤するときに、どうしても寝過ごしてしまってひげを剃っている時間がなかったのかもしれないし、ひげを剃るのは出勤のためだけであるとは限らないので、夜、駅構内を電気カミソリでひげを剃りながら歩くということも、決してあり得ないことではないのだ。

つまり、それは、たまたまその時間に、そこでしかひげを剃るチャンスが得られなかった人が、そのとおりひげを剃ったというだけのことなのである。
それ以上、考えてみるべきことなど何もないのだ。

しかし、どうであろう。
理論的に考えると、このことは上記の通り驚くには当たらないという結論になるのだが、しかし、私はそれを単なる「ひげを剃っている」という事実として受け止めることができず、どうしても「なぜひげを剃っているのだろう」と考えてしまったのである。

これについて、いくつかの可能性を考えてみたのであるが、もしかしたらそうかもしれないという考え方がここにある。

つまり、その人は、もしかしたら、本当にひげを剃る必要があったのではなく、そうではなくて、奇抜なことをして、みんなに注目されようとしたのかもしれないのである。
これは、考えられないことではない。
なにか奇抜なことをやって目立とうとする人というのは、必ずいるものなのだ。
駅で歩きながらひげを剃る人というのはあまり見かけないので、そのことは奇抜でないとは言えない。

しかし、これだけでは、理由として弱いような気がする。
ただ目立つだけならば、もっと他に目立つためのやり方がたくさんあるからである。

もしかしたら、彼は、単にその場で目立つことだけを意図したのではなく、その上さらに自分の話題が無限に広がっていくことを期待したのかもしれない。
ひげを剃って歩いているのを見た人が、その家族や友人に話し、それがさらに他の人に伝えられ、そしてどこまでも広まっていく、ということを期待したのである。

自分の話題を無限に広めるためには、奇抜な格好や、注目を集める容姿、単なる目立つだけの行動などだけでは、必ずしも十分ではない。
それだけだと、ある程度印象が強くても、他の人に話さないで終わってしまう場合があるからである。
見た人に話題を広めさせるためには、そこにもう一つ仕掛けを作る必要がある。

自分の話題を広めさせるための方法の1つに、自分のことを他人に「どうしてだろう」と考えさせるというものがある。
もちろん、その疑問は、考えて答えが見つかってしまうようなものではいけない。
できれば、「どう考えても理解できない」というものが望ましい。
考えても分からないので、つい人に聞いてみてしまう、というようなものがよいのだ。

駅構内で、夜、電気カミソリでひげを剃りながら歩く、というのは「どうしてそんなことをやっているのだろう」と考えさせるための方法として、なかなか見事なものであると言える。

「今日、駅で電気カミソリでひげを剃りながら歩いている人を見かけましたよ」
「何だって?」
「ひげを剃りながら歩いているんです」
「お前がかい?」
「違いますよ」

おそらく、今日の夜、あちこちでこんな会話が交わされたに違いない。
これにより、相当数の人に、その話題が広まったに違いない。

ただ、もちろん、今日ひげを剃っていた人が本当に話題を広めることを意図したのかどうか、実際のところはわからない。
私が、そう考えてしまっただけで、もしかしたら、その人は、本当にひげを剃るためにひげを剃っていたのかもしれないのである。
しかし、本人がどう考えていたとしても、少なくとも私の中では、その通り話題を広めるための行動として理解され、すでに人に伝えてしまったのである。

しかも、このページは、Webページなのだ。
インターネットに接続でき、日本語を表示できる環境があれば、全世界で見ることができるのである。

彼が、もし、本当に話題を広めたいという意図を持っていたのだとしたら、今日の行動は大成功だったのである。


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