今日の名探偵(1999年8月16日)

昨晩ネットサーフィンをしていて、あるコンサート情報を発見した。それは9月に行われるコンサートで、なんとしても聴きに行きたいものだったので、今日早速チケットを取りに行った。
チケットは、運良く最後の5枚というところで購入することができたが、チケット購入後にその店を出ると、外は激しい雨になっていた。

雨はしばらく弱まりそうになく、そんな中をあまりうろつきたくなかったので、しばらく時間をつぶして小降りになるのを待とうと思い、とりあえず近くの本屋さんに行くことにし、ほとんど河川と化した道路をなんとか歩いて行った。

私は、あまりせまい店では無理であるが、ある程度の広さの本屋さんであれば、そこで数時間つぶすということができる方なので、雨が弱くなる頃まで待つことは苦痛ではなかったが、さすがに買いたい本やさがしたい本があったわけではないので、やや時間を持て余し、普段あまり行ったことのないフロアへ足を運んでみることにした。
そのフロアは、美術関係の書籍と児童書があるところだった。
美術関係のところへは1、2度行ったことがあるが、その奥の児童向けの書籍があるコーナーへは何となく入りづらくて今まで行ってみたことはなかった。
だが、今日は時間もあったし、それに店内は空いていたので、ちょっとだけひとまわりしてみようと思い、児童書コーナーへ向かうことにした。

「あの人、子供でもないのに児童書のコーナーにいて変ですよ...」と、誰かに通報されてしまったらどうしようなどと考えながら、ややぎこちないまま、しかし、「雨が弱くなるまで時間をつぶさないといけないから、これは仕方ないことなのだ」と心の中で言い訳をしつつ、児童書のコーナーに入っていった。

はじめはちょっとだけ見て戻ってきてしまうつもりだったのだが、ところが、これが、面白い。

児童書のコーナーといっても、必ずしも対象が子供であるということではなく、童話のコーナーなども、必ずしも子供向けとは言い難い、文庫本になった作品集などが並んでいたりして、大人が童話を買いに来るというのも想定しているようなのである。
もちろん、大部分は本当に子供向けなのであるが、それも、かつて自分が幼い頃に読んだ話がそこで絵本として並んでいたりして、つい手に取ってみたりしてしまうのだ。
もしかしたら、しばらくの間、はまってしまうかもしれない、というくらいのものなのである。

しかし、極めつけはなんといっても、あの江戸川乱歩の「少年探偵」シリーズ(いわゆる怪人20面相シリーズ)の復刻版がそこに並んでいたことであろう。

かつては、大きな本屋さんには必ずそのシリーズがずらりと並んでいたのが、いつの頃からか見かけることがなくなっていたのだ。
私は、思いがけない邂逅にショックを受け、今日は予定にないのだからこんなのは買ってはいけいないと思いながらも、ついにそれを押さえることができず、1冊買ってしまった。

ただ、残念ながら、装丁は私がかつて読んだものと大幅に違っていて、実際に比較したわけではないので何とも言えないが、表紙や挿し絵や活字までもがかつてのものと違い、何となくこざっぱりしてしまって、あの、かつての何とも言えないおどろおどろしさが、ないのである。
もちろん、私がかつて読んだものも、初版とは異なる装丁だったと思われるから、初版を知っている者にとってはそれだってまがい物に見えたに違いなく、復刻版は復刻版で、それはまた新しい怖さを醸し出していくことになるのかもしれない。

また、それ以外に、復刻版では原典版にある差別語などが取り払われていて、もちろんそれは必要なことであり、正しいことであるが、そして実際どこが削除されたのかもよくわからないのであるが、しかしそれと同時に、ある種の「怖さ」も失われてしまったような気がして、そのことだけを独立させて考えた場合、何となく残念なような気もする。

それでも、内容は基本的にそのままで、名探偵「明智小五郎」の活躍は、少しも鈍りを見せていない。
小林少年やポケット小僧についても然りである。
そして、最近滅多に聞かなくなった「今夜10時に、きみの宝物をちょうだいにあがる」というような怪人20面相の予告状の言い回しも、なんとも鮮やかである。

トリックについても、いくら子供向けだとはいえ、小林少年にも区別が付かないほどそっくりに怪人20面相が明智小五郎に変装することができるというような、現代の推理小説ではとうてい使うことができないようなトリックをトリックとして使ってしまっているところなどには、かえってトリックの新鮮ささえ感じられ、しかも、そこに不自然さなどはなく、そればかりか、我々はそこに見事に引っかかってみることさえできるのである。

もしかしたら、傑作なのかもしれない。


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