栄光幼稚園報「ひかりのこ」(No.379、2013.1月号)より 本文へジャンプ

少し休んだらいいよ

 昨年の11月、前年に引き続き、広島の的場幼稚園からプレゼントが届きました。少し早いクリスマス・プレセントでした。広島のみかん、ぎんなん、アドベント・カレンダー、そして、園児一人ひとりに心温まるお手紙も付いていました。私たちの幼稚園、そして私たち一人ひとりのことを覚えていただいていること、心より感謝したいと思います。

 お手紙には、“柿”のことも記されていました。「今年は、的場幼稚園の柿は、ひとつも実りませんでした。柿の木もお休みの年があります。あなたの回りの人が疲れているようでしたら、『少し、休んだらいいよ』と、やさしく声をかけてあげてください。」

 そういえば、2011年の震災の年には“柿”も贈っていただきました。その柿が、今年はひとつも実らなかった。だから、今年は送れなかったということなのですが、それ以上に心に染みたのは『少し、休んだらいいよ』という、この言葉です。

 震災後、みんな頑張って来ました。震災直後は、何がどうなっているのか分からず、ただ立ちつくし“啞然”とするだけでした。何を、どうしたらいいのか全く分からないような状況がしばらく続きました。

 しかしながら、身の回りのものを片付け始め、少しずつ正気を取り戻して行きました。そして、今出来ることは何なのかと思案しながら、自分たちで出来ることを少しずつやり始めました。

 人によって皆それぞれ歩みは違いますが、「こんな状況下であるけれど、何とかしたい、何とかしなければならない」と、それなりに皆頑張って来ました。

 時には「そんなに頑張らなくてもいいよ」という声も聞きました。でも、「今頑張らなくて、いつ頑張るの」という思いもあって、皆頑張って来ました。

 東日本大震災から1年10ヶ月、頑張って来た人は皆頑張って来たのです。
 でも、人間の頑張りには限界があります。頑張り過ぎた人は「疲れ」を覚えています。
 そんなとき『少し、休んだらいいよ』という声は、私たちに何とも言えない“やすらぎ”を与えてくれます。

 「柿の木もお休みの年があります。あなたの回りの人が疲れているようでしたら、『少し、休んだらいいよ』と、やさしく声をかけてあげてください。」

 柿の木にもお休みの年がある。人間も休む時が必要なのではないでしょうか。

 聖書にも、このような言葉があります。
 「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時。植える時、植えたものを抜く時。…泣く時、笑う時。嘆く時、踊る時。…抱擁の時、抱擁を遠ざける時。求める時、失う時。保つ時、放つ時。裂く時、縫う時。黙する時、語る時。愛する時、憎む時。戦いの時、平和の時。」(コヘレト3:1-8)

これらの言葉の中に、「頑張る時、少し休む時」というのを加えてもよいのではないでしょうか。
              栄光幼稚園長 小鮒 實
   栄光幼稚園報「ひかりのこ」(No.379、2013.1月号)より
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