栄光幼稚園報「ひかりのこ」(No.362、2011.6月号)より 本文へジャンプ

東日本大震災3

 津波で多くのお家が被害を受けました。すべて流されてしまったお家(基礎しか残っていない家)、1階部分がほぼ壊滅したお家(全壊扱い、1階には住めないので2階で生活)、床上浸水で1階にあった家財を失ったお家(畳、電化製品をはじめ1階に置いてあった生活用品がほぼ使用できなくなったお家、半壊扱い)。

 そのような中で、教会・幼稚園・牧師館は、奇跡的に床下浸水に留まりました。実は、水は来たのですが、その多くは隣の好文館高校、また、低い隣地に流れて行ったのです。教会・幼稚園の建物は床に水が上がらなかったので様々に活用されました。

 震災の翌日(12日)、隣の好文館高校に避難していた人たちが、幼稚園の裏門(扉)から続々幼稚園に来られました。幼稚園は比較的水が引くのが早く、園庭はヘドロでグチャグチャでしたが、コンクリートの部分は通り道として活用されました。

 しかし、お家への帰り道が冠水していてお家に帰れない方、足腰が弱い方、また水に浸かり不自由していた方々は、再度好文館高校に戻ることを躊躇。成り行き上、幼稚園の「のあさんの部屋」を臨時避難所として開放することになりました。

 当初は30名近くの方々が「のあさんの部屋」に一時避難しました。怪我をしている人には幼稚園の救急箱を提供し、床に敷く敷物も提供しました。翌日、幼稚園の保護者の方が昔の灯油ストーブ、灯油等を届けてくれたので、それも使ってもらいました。(隣の好文館高校よりも良い環境?)(教会堂には、幼稚園の先生方が教会にあった寝袋で1泊or2泊されました)

 臨時避難所である「のあさんの部屋」には、保育所の先生がおられ、避難している方々をまとめてくれたので、とても助かりました。また、時間のあるときは園庭のヘドロの撤去も手伝ってくれました。おかげでヘドロの上を通らなくても園庭の土の上を歩くことが出来るようになりました。

 「のあさんの部屋」は、3/12(土)〜15(火)まで「臨時避難所」として使用されましたが、救援物資や水は届きませんでした。14日(月)には、隣の好文館高校(避難所)には救援物資が届いたようですが、こちらには届かない。水をもらいに行ったら、「避難所用なので一般の人には与えられない」と断られてしまった。そういうこともあり、「臨時避難所」は4日目には自動消滅ということになりました。(その後、のあさんの部屋は救援物資の集積所となる)

 でも、多くの出会いがありました。見ず知らずの人たちとも仲良くなることが出来ました。あのような非常時、そして困難の中にも恵みはあるものなのですね。
 
             栄光幼稚園長 小鮒 實

   栄光幼稚園報「ひかりのこ」(No.362、2011.6月号)より
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