栄光幼稚園報「ひかりのこ」(No.359、2011.3月号)より 本文へジャンプ

叱ることと躾の問題

 朝日新聞くらしの提案誌「朝日ウィル」(2011年2月22日号)に「小児科の診療室から」というエッセイが載っていましたので紹介します。今回は「子どもを叱ることと躾を考える〜病気とはちょっと違う育児のはなし〜」(赤ちゃんこどもクリニック院長・堺 武男先生の話です。)

 私のクリニックでは様々な相談に乗る「相談外来」を予約制で行っているが、そこでは親から「子どもの叱り方が分からない」という質問をよく受ける。

 実は子どものほめ方も難しいのだが、叱り方はもっと難しい。叱り方の基本は理不尽に叱らないことと、子どもの目線で考えることだ。

 子どもが何故叱られているのか分からないと、親への不満と不信が募る。例えば、家族で遠出する時は、子ども達は嬉しくて新幹線の中でも大はしゃぎだ。そこへ父母から「うるさい!」ときつく叱られる。

 このありふれた情景も、事前に「新幹線では静かにしようね」と言われている場合と、何も言われていない場合では、子ども達の受け取り方は異なる。何も言われていなければ、こんなに楽しいのに何で怒られるのだろうと思う。

 子ども達は、実は自分が間違ったことをしたと感じる時は、怒られても仕方ないと分かっている。それが理由なく怒られると理不尽さを感じる。

 「誰々に怒られるからやめなさい」のように他人の責任にすることも良くない。では誰かに怒られなければいいのかということになる。叱る主体は親であり、それが親の責任だ。

 また、きょうだいでは「お兄(姉)ちゃんなのに何をしているの」も理不尽である。同じことをしても、妹(弟)なら何故許されるのか分からない。きょうだい不信にもなりかねない。そもそもお兄(姉)ちゃんもまだ子どもなのだ。少し早く生まれただけで怒られるのも可哀想だ。

 「何回言ったら分かるのよ」もよく親が使う科白(せりふ)。何故何回も言わなければならないかを親も考えてみよう。

 叱る目的は、躾をよくするためと言われる。躾とは身を美しくすると書く。この語源は、着物の「仕付け」から来ているという説もある。「仕付け糸」は、着物を作る際に大雑把に縫い付けて大体の形を決めるもので、細々と縫い付けて形を決めるものではない。躾もそのようなものである。例えば、挨拶はきちんとしようというくらいである。

 躾にあまりにこだわると「押し付け」になってしまう。私は、子育てとは子どもが自分の力でしっかり育っていく「子育ち」を、親が助けてあげることだと考えている。

 教えられることが沢山あるように思いますが、どうでしょうか。
 
             栄光幼稚園長 小鮒 實

   栄光幼稚園報「ひかりのこ」(No.359、2011.3月号)より
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