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“かりゆし58”の『アンマー』(沖縄の方言で母親のこと)という歌があります。こんな歌詞です。
初夏の晴れた昼下がり 私は生まれたと聞きました 母親の喜び様は大変だったと聞きました 「ただ真っ直ぐ信じる道を歩んでほしい」と願いこめて 悩みぬいた末に この名を私に付けたと聞きました
我が家はあの頃から やはり裕福な方ではなく 友達のオモチャや自転車を 羨ましがってばかり 少し困ったような顔で 「ごめんね」と繰り返す母親のとなりで いつまでもいつまでも 泣いたのを覚えてます
アンマーよ
アナタは私のすべてを許し すべてを信じ すべてを包み込んで 惜しみもせずに何もかも 私の上に注ぎ続けてきたのに
アンマーよ
私はそれでも気付かずに思いのままに過ごしてきたのでした
「強さ」の意味をはき違えて ケンカや悪さばかりをくり返し 勝手気ままに遊びまわる 本当にロクでもない私が 真夜中の静けさの中 忍び足で家に帰ったときも
狭い食卓の上には 茶碗が並べられていました
自分の弱さに目を背け 言い訳やゴタクを並べ 何もせずにただ毎日を だらだらと過ごし続け 浴びるほどに飲んだ私が 明け方眠りに落ちる頃 まだ薄暗い朝の街へ 母は出て行くのでした
アンマーよ
私はアナタに言ってはいけない 決して口にしてはいけない言葉を 加減もせずに投げつけては アナタの心を踏みにじったのに
アンマーよ
アナタはそれでも変わることなく 私を愛してくれました 木漏れ日のようなぬくもりで 深い海のような優しさで 全部全部 私のすべてを包み込んだ
アナタの背中に負われながら 眺めた八重瀬岳の夕陽は 今日も 変わらず 茜色に街を染める
度が過ぎるほどの頑固さも わがままも卑怯な嘘もすべて すべて包み込むような 愛がそこにはありました
アナタのもとに生まれ落ちたことは こんなにも幸せだった 今頃ようやく気づきました こんな馬鹿な私だから
春先の穏やかな朝に 新しい命が生まれました アナタの様によく笑う 宝石みたいな女の子 「優しさの中に凛々しさを秘めた人」になるようにと願い アナタの一番好きな 花の名前を付けました
(作詞・作曲:前川真悟)
◆子育てを放棄する母親もいます。でも、こんなふうに歌われる“母親”もいるのです。
このように歌われる母親は幸せだと思います。でも、そこには母親の愛と苦労、忍耐があるのです。
“涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。” (旧約聖書 詩編126:5)
※「かりゆし」とは沖縄方言で「縁起がいい・めでたい」の意味で、「58」とは国道58号線のことだそうです。(国道58号線は、1972年沖縄の日本復帰まで、沖縄県内では一般に1号線と呼ばれていた)
栄光幼稚園長 小鮒 實
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栄光幼稚園報「ひかりのこ」(No.353、2010.8-9月号)より
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