くりすますの おくりもの |
―ロシア民話より (至光社国際版絵本)−
ゆきがふっていました。きょうはくりすますです。なのに、うさきの家には食べるものがありません。「ああ、お腹がぺこぺこだ」
うさぎは寒いのを我慢して外に出ました。とぼとぼ歩いていくと、雪の中に赤いものが見えました。「なんだろう」「わあっ、にんじんが二本もある」
一本食べると、お腹がもういっぱい。うさぎは考えました。「雪の降る日は、食べ物を見つけるのが大変だ。このにんじんは誰かにあげよう。そうだろばさんがいい。」
「ろばさん、こんにちは。」 けれども、ろばは留守でした。うさぎはにんじんを置いて、そっと帰って行きました。
ろばは、外でじゃがいもを一袋見つけて、帰るところでした。
家に入ると、にんじんが置いてあります。「あれれ、誰がくれたのかな?」
じゃがいもを食べながら、ろばは考えました。「雪の降る日は大変だ。このにんじんは誰かにあげよう。そうだ、ひつじさんがいい。」
「ひつじさん、こんにちは。」 けれども、ひつじは留守でした。ろばはにんじんを置いて、ぽくぽく帰って行きました。」
ひつじは、外でキャベツを見つけて、帰ってきました。
「あれれ、誰がくれたのかな?」 窓ににんじんが置いてあります。
キャベツを食べながら、ひつじは考えました。「雪の降る日は大変だ。このにんじんは誰かにあげよう。そうだ、のろじかさんがいい。」
ひつじは、雪の中をかけて行きました。「のろじかさん、こんにちは。」 けれども、のろじかは留守でした。ひつじはにんじんを置いて、たったか帰って行きました。」
のろじかは、外で干し草を一束見つけて、帰るところでした。
家に戻ると、にんじんが置いてあります。「あれれ、誰がくれたのかな?」
干し草を食べると、お腹がいっぱいになりました。「雪の降る日は大変だ。このにんじんは誰かにあげよう。そうだ!」
のろじかが訪ねたのは、うさぎの家でした。「うさぎさん、うさぎさん。…あれっ、もう眠っている。起こすのはかわいそうだな。」 のろじかは、にんじんを置くと、そっと帰って行きました。
真夜中に、うさぎはふっと目をさましました。「うわあ、にんじんだ。どうなってめの?」
にっこりわらうと、うさぎは言いました、「ああ、そうか。きっと友だちの贈り物だ。誰かさん、ありがとう。いただきまあす。」
「今日はクリスマスだったなあ。」 外では雪がもうやんだようです。
(「くりすますの おくりもの」−ロシア民話より− 木村由利子−文、松村雅子−絵、至光社 2007)
◆にんじんを二本見つけた「うさぎ」。一本食べるとお腹がいっぱい。もう一本ある(残っている)。
うさぎは、「雪の降る日は食べ物を見つけるのが大変だ。このにんじんは誰かにあげよう」と考えます。そして、ロバさんにあげることを思いつく。そして、ロバさんの家へ行き、そっとおいて帰ってくる。
うさぎは、残りの一本のにんじんを、自分のために取っておくことも出来ました。でも、うさぎは、ロバさんが困っているかも知れないと思い、“分かち合う”ことを思いつきます。
「自分さえよければ」という人が多い世の中ですが、このうさぎの言動から教えられることは多いのではないでしょうか。聖書には「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」とあります。(フィリピ 2:4) うさぎのように“分かち合う”気持ちを持てればと思います。
それから、ロバさんのお家に、にんじんを「そっとおいて帰ってくる」うさぎ。
「これは誰々から…」なんて言わない、書かない、そこに本当の施しの姿があるようにも思います。
聖書にも、このようにあります。「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」(マタイ 6:3〜4)
結局、にんじんは、ロバから、ひつじ、のろじか、そして、最初のうさぎの所へ帰って来ます。
「金は天下の回りもの」ではありませんが、良いことをしていれば、いつかきっとそれは自分のところに帰ってくるのです。
「喜んで与える人を神は愛してくださる。」(2コリント 9:7)
クリスマス、おめでとうございます。
(栄光幼稚園長 小鮒 實)
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クリスマスのお話より
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