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説教「きよしこの夜」
(1ヨハネ 4:7−12) 2006.12/24
キャンドル・サーヴィス (於・行田教会)  小鮒 實牧師

 クリスマス・シーズンになりますと、クリスマスの讃美歌、クリスマス・キャロルがよく聞かれます。その中でも、皆さんがよく知っている讃美歌が、先程歌いました「きよしこの夜」という歌ではないかと思います。

 「きよしこの夜 星は光り 救いの御子は まぶねの中に ねむりたもう やすらかに」。昔の讃美歌では、最後の所が「ねむりたもう いとやすく」というふうになっておりました。この歌、クリスチャンでなくてもよく知っている讃美歌ではないでしょうか。

 で、この歌は、英語では「Silent Night, Holy Night」と歌いますので、アメリカの歌だと思っている人も多いと思うのですが、実は、これはスイスの東にありますオーストリアで生まれた讃美歌であります。オーストリアはドイツ語ですから、歌詞ももともとドイツ語でありました。「Stille Nacht, heilige Nacht」(静かな夜、聖なる夜)、こんなふうに歌われていた訳であります。

 ところで、この「きよしこの夜」という讃美歌、この歌が作られたいきさつ、まあいろいろな説がありますけれども、こんなお話があります。

 1818年、オーストリアのオーベルンドルフ(Oberndorf)という村に、聖ニコラス教会というカトリックの教会がありました。

 クリスマスが間近に迫ったある日の午後、村の学校の校長先生をしていたグルーバーさんという人が(Franz X. Gruber)、教会のオルガニスト(奏楽者)でもありましたから、大事なクリスマス礼拝のために練習をしておこうということで、教会にやって来たといいます。

 そして、オルガンのペダルを踏みましたが、さっぱり音が出ない。よく調べてみると、ねずみが空気ぶくろに穴をあけていたことが分かりました。でも、すぐに修理なんてできない。たいへんだと思っていたところへ、教会の司祭(神父さん)ヨーゼフ・モールさんという人がやって来ました(Joseph Mohr 英語読みヨセフ・モーア)。

 そして、こんなことを言ったといいます。「グルーバーさん。オルガンがだめなら、ギターがあります。これは私がつくった詩ですが、先生、ギターで歌えるように、曲をつけてください」。ということで出来たのが、この「きよしこの夜」の讃美歌だと言われています。

 クリスマスの日、聖ニコラス教会に集った村の人たちは、生まれてはじめて、ギターの伴奏で礼拝を守りました。そして、ギターとともに聖歌隊が歌うこの讃美歌に、みんな深く感動したと言われております。

 のちに、オルガンの修理にやって来た人が(マウラヒャー Karl Mauracher)、この讃美歌を、チロル地方に伝え、それがまた人から人へと歌いつがれて、世界中に広まって行ったということであります。

 「きよしこの夜」、静かな夜、聖なる夜、星は光り 神様の御子・救い主イエス・キリストが生まれた。そして「まぶねの中で眠っている。いとやすく、やすらかに眠っている」。クリスマスは、私たちの心をなんとなく「やさしい思い」にしてくれる、そんな時でもあるのではないでしょうか。

 こんなお話があります。
 小学1年生のゆう君という子どもがいました。ゆう君はある日、小学校で先生から四つ葉のクローバーの話を聞きました。四つ葉のクローバーを見つけて、それをとった人は幸せになれるという、そういうお話。ゆう君は、お家に帰って、そのことをお母さんに一生懸命にお話しました。お母さんはその時は「ふんふん」と聞いていました。

 そして、しばらくたったある日のことです。学校から帰って来たゆう君がお母さんに言いました。「お母さん、僕ね、今日学校から帰る途中、草っぱらで四つ葉のクローバーみつけたんだよ」。お母さんは、四つ葉のクロ−バーの事を前に聞いていましたので「見つけたの、良かったね」 と言いました。

 でも、ゆうくんは続けてこんなことを言ったといいます。「でもね、お母さん。僕ね四つ葉のクローバー採らなかったんだ」。お母さんは変だなと思いました。どうして採らなかったのか。するとゆうくんは言いました。「だって、ぼく今しあわせだから。お父さんもお母さんもいるし、ぼく今幸せだから。だから、しあわせだと思っていない人に、あの四つ葉のクローバーを採ってもらおうと思って採らなかったんだ」。そんなふうに言ったといいます。

 お母さんは「ゆうちゃんは、やさしいね」と言って、涙が出てきたといいます。そして、お母さんも、ゆう君がこういう子どもに育ってくれて、本当に「しあわせ」を感じたといいます。

 子供って大人が考えていない、美しい思いをいだきます。でも、ゆう君が、「自分は今しあわせだから、幸せだと思っていない人に四つ葉のクローバーを採ってもらおう」と、そんなふうに思ったというのは、やはりゆう君がお父さんやお母さん、みんなに愛されていたからではないでしょうか。

 愛されている者は、幸せを感じるんだと思うのでありますね。
 「ぼく今しあわせだから」。これは「やさしさ」の原動力と言ってもいいと思います。いま幸せを感じている人は、またその幸せを人にも分けてあげたいと思う。分けてあげられるのではないでしょうか。そして、クリスマスは、そういう時でもまたあるように思うのであります。

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)。
 神様は、ご自身の独り子イエス様をお与えになったほどに、この世を、私たちを愛してくださっております。私たちは、神様から愛されていることを覚え、その幸せを人にも分けてあげたい。分けてあげられるようになりたいと思います。

 「神様がこのように私たちを愛されたのですから、私たちも互いに愛し合うべきです」(1ヨハネ4:11)。

 ゆう君のようなやさしい気持ち、人を思いやることの出来る、そういう気持ちになって、私たちお互いに愛し合うことが出来たらと思います。


【説教要旨】
 「きよしこの夜」、静かな夜、聖なる夜、星は光り 神様の御子・救い主イエス・キリストが生まれた。そして「まぶねの中で眠っている。いとやすく、やすらかに眠っている」。

 クリスマスは、私たちの心をなんとなく「やさしい思い」にしてくれる、そんな時でもあります。

 「それをとった人は幸せになれる」という「四つ葉のクローバー」。それをを見つけた子供が、自分は今幸せだから。幸せだと思っていない人に四つ葉のクローバーを採ってもらおうと思って採らなかった」というお話。

 子供は、大人が考えていない、美しい思いをいだきます。「自分は今幸せだから、幸せだと思っていない人に四つ葉のクローバーを採ってもらおう」という発想。その子は、お父さんやお母さん、みんなに愛されていたからではないでしょうか。

 愛されている者は、幸せを感じるのです。そして、いま幸せを感じている人は、またその幸せを人にも分けてあげたいと思う。分けてあげられるのではないでしょうか。

そして、クリスマスは、そういう時でもまたあるように思います。

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネ3:16)
神様は、ご自身の独り子イエス様をお与えになったほどに、この世を、私たちを愛してくださっています。私たちは、神様から愛されていることを覚え、その幸せを人にも分けてあげたい。分けてあげられるようになりたいと思います。

 「神がこのように私たちを愛されたのですから、私たちも互いに愛し合うべきです。」(1ヨハネ4:11)。
 人のことを思いやることの出来るやさしい気持ちで、私たちもお互いに愛し合うことが出来たらと思います。
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