クリスマスのお話より 本文へジャンプ
四つ葉のクローバー
「ひかりのこ」(2012年12月)に掲載予定だったもの
震災で母親を亡くした園児のことを配慮し、結局掲載しなかった

 小学1年生の“ゆう君”という子どもがいました。
 ゆう君は、ある日、小学校で先生から“四つ葉のクローバー”のお話を聞きました。
 「四つ葉のクローバーを見つけ、それをとった人は幸せになれる」という、そういうお話でした。

 ゆう君は、お家に帰って、そのことをお母さんに一生懸命お話しました。お母さんはその時は「ふんふん」と聞いていました。

 ある日のことです。学校から帰って来たゆう君がお母さんに言いました。「お母さん、ぼくね、今日学校から帰る途中、草っぱらで四つ葉のクローバー見つけたんだよ。」

 お母さんは、四つ葉のクロ−バーのことを前に聞いていたので「見つけたの。よかったね。」 と言いました。でも、ゆう君は続けてこんなことを言ったといいます。「でもね、お母さん。ぼくね、四つ葉のクローバー採らなかったんだ。」

 お母さんは変だなと思いました。だから聞きました。
 「どうして採らなかったの。」

 すると、ゆう君は言いました。
 「だって、ぼく、今しあわせだから。お父さんもお母さんもいるし、ぼく、今しあわせだから。だから、しあわせだと思っていない人に、あの四つ葉のクローバーを採ってもらおうと思って採らなかったんだ。」

 お母さんは「ゆうちゃんは、やさしいね」と言って、ゆう君を抱きしめました。お母さんの目から涙が出てきました。お母さんは、ゆう君がこういう子どもに育ってくれて、本当に「しあわせ」を感じたといいます。

 子供って、大人が考えられないような美しい思いをいだきます。

 ゆう君が、「自分は今“しあわせ”だから、幸せだと思っていない人に四つ葉のクローバーを採ってもらおう」と、そんなふうに思ったというのは、やはりゆう君がお父さんやお母さん、みんなに愛されていたからではないでしょうか。

 愛されている者は、“しあわせ”を感じるのだと思います。
「ぼく今“しあわせ”だから」。これは「やさしさ」の原動力と言ってもよいと思います。

 いま幸せを感じている人は、またその幸せを人にも分けてあげたいと思う。分けてあげられるのではないでしょうか。そして、クリスマスは、そういう時でもまたあるように思います。

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)。

 神様は、ご自身の独り子イエス様をお与えになったほどに、この世を、私たちを愛してくださっています。

 私たちは、神様から愛されていることを覚え、その幸せを人にも分けてあげたい、分けてあげられるようになりたいと思います。

 「神がこのように私たちを愛されたのですから、私たちも互いに愛し合うべきです。」(1ヨハネ4:11)。

 ゆう君のようなやさしい気持ち、人を思いやることの出来る、そういう気持ちが持てたらと思います。そして、私たちがお互いに愛し合うことが出来たら、どんなにすばらしいことでしょうか。
            (栄光幼稚園長 小鮒 實)
   クリスマスのお話より
 クリスマスのお話