八犬伝博物館(館山城)と館山市博物館に行ってきました(2015年4月8日 千葉県館山市)

館山市立博物館のパンフレットの写真 八犬伝博物館(館山城)の外観写真 館山市立博物館館内の写真 その1 館山市立博物館館内の写真 その2 館山市立博物館館内の写真 その3

 4月8日(水)、千葉県館山市の城山公園内にある、館山市立博物館本館と八犬伝博物館(館山城)に行ってきました。筆者は、高崎市の「地域おこし里見の郷委員会」の実行委員として活動しています。当委員会では、数年前から館山市の「房総里見会」や「里見氏大河ドラマ化実行委員会」、また南房総市の「南総里見手づくり甲冑(かっちゅう)愛好会」との地域間交流を図っており、今回の訪問もその活動の一環です。

 千葉県館山市は高崎市から約220kmの距離にありますが、東京湾アクアラインが通って本当に近くなりました。筆者は何回も訪れていますが、今回はじっくりと博物館本館と八犬伝博物館を見てきました。
 館山城跡に再建された模擬天守を利用して、昭和57年に開館した八犬伝博物館では、『南総里見八犬伝』に関する多種多様な資料を展示しています。また、昭和58年に開館した博物館本館では、戦国時代から江戸時代にわたって房総地方を支配してきた「里見氏」を中心に、安房地域の歴史や暮らしを紹介しています。
 里見氏は鎌倉時代に将軍の御家人として活躍しました。南北朝動乱の時代になり、新田義貞と共に戦って負けたことで落ちぶれるものの、室町時代に関東の将軍である鎌倉公方(かまくらくぼう)の足利氏に仕えることで復活します。1400年頃、当時の鎌倉公方・足利成氏の側近として房総に進出したのが、『南総里見八犬伝』にも登場する、房総里見氏の祖・里見義実です。房総里見氏はそれから10代170年続きますが、徳川幕府によって潰され、最後は今の鳥取県倉吉市にあたる伯耆国(ほうきのくに)倉吉で歴史の幕が下ろされます。

 館山城跡は、房総里見氏9代義康、10代忠義の城跡で、1614(慶長19)年の倉吉移封までの本拠地であり最後の地です。この地に建てられた八犬伝博物館では、江戸時代から現在まで、本や芝居、テレビ、映画などで、多くの人々に親しまれた八犬伝のロマンを浮き彫りにしています。八犬伝に関するさまざまな展示を見るのは、本当に楽しいです。この日は、平日で小雨が降っていましたが、ほかにも観光客の方が訪れていました。
 また、博物館を訪れた後に、安房の開拓史を物語る「安房神社」に参拝してきました。房総半島は神代の時代から歴史があり、千葉県の「安房」は徳島県の「阿波」につながる伝承もあるそうです。

 里見氏というと、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』のイメージから、千葉県館山市を思い浮かべる方が多いかと思います。しかし里見氏発祥の地は、館山市ではありません。あまり知られていないことですが、高崎市旧榛名町里見地域が、里見氏発祥の地なのです。今でも、里見地域には子孫の里見さんが住んでおり、中里見町には里見氏の始祖である里見義俊の菩提寺・光明寺があります。
 館山市や南房総市では、何年か前から街をあげて里見氏の大河ドラマ化を目指しており、実行委員会も組織されて大変盛り上がっています。里見氏発祥の地である高崎市でも、「地域おこし里見の郷委員会」等を中心に、大河ドラマ化の実現に向けて応援しています。


館山市立博物館館内の写真 その4 館山市立博物館館内の写真 その5 高崎市中里見町にある光明寺の写真