歴史を活かしたまちづくり連続講演会第二回「八幡荘の里見氏と山名氏」(2014年11月29日 高崎市)

写真:歴史を活かしたまちづくり連続講演会のチラシ 写真:「八幡荘の里見氏と山名氏」の資料 写真:ウエルカムコンサート 写真:講演の様子 写真:会場の様子

 11月29日(土)、高崎市上里見町の榛名・倉渕保健センターにて、歴史を活かしたまちづくり連続講演会第二回「八幡荘の里見氏と山名氏」(主催:歴史を活かしたまちづくり講演会実行委員会)が開催され、実行委員として参加しました。講師は久保田順一先生(群馬県地域文化研究協議会副会長)です。大好評だった、11月8日開催の第一回に続き、この講演会は、高崎市榛名地域の歴史的地域資源を活用し、地域住民が一体感を持ってまちづくりに取り組む気運を醸成することを目標としています。午前中からずっと大雨で心配しましたが、昼頃には快晴になりほっとしました。

 ウエルカムコンサートとして、オークラウロ・尺八の演奏がありました。オークラウロ・尺八は岸敏郎さん、ピアノ・歌は清水美子さん、案内人は岸純子さんです。7曲を演奏し、みな圧巻で絶賛していました。

 講演会「八幡荘の里見氏と山名氏」は次のような内容でした。講師の久保田先生は、さまざまな資料に基づいて講演されました。
 上野国八幡荘は、町保期(999年〜1004年)、河内源氏の頼信が上野介在任中に藤原道長に摂関家領として献上したことにより成立します。
 1591(天正19)年の『八幡八幡縁起』によると、前九年の役(1051年)の際、高崎市八幡町の八幡宮(上野一社八幡宮)で頼義・義家父子が勝利を祈念し、社殿を造営し、後三年の役(1083年)の出陣時も、義家は当社に詣でたということです。このように、八幡荘の意義として、河内源氏の北関東の拠点であり、陸奥進出の平担基地であり、鎌倉の鶴岡八幡宮に匹敵する地位をもっていました。もしこの高崎市八幡町の八幡宮が拠点であったならば、関東東国の中心地になったかもしれません。

 一般的に河内源氏の里見氏というと、千葉県房総の南総里見八犬伝の里見氏を思い浮かべる方がほとんどでしょうが、実は高崎市旧榛名町里見町地域が里見氏発祥の地です。また、高崎市上野三碑で有名な山名地域は、山名氏祖の地でもあります。

 今回も、県内中世史研究の第一人者である久保田先生の講演会は素晴らしかったです。配布資料も充実していて、文書史料に基づいての講演は、ちょっと難しかったようにも思いましたが、中身の濃いものでした。“榛名”というと国史跡榛名神社のイメージがありますが、中世の時代の里見氏や長野氏等を抜きには語れません。地域資源を再発見し、魅力を発信し続けることが大切だと常に思っています。また、歴史的な史料には、潤色や、その時代に生きた権力者が後から歴史を塗り替えることがあることも、忘れていけないことの一つだと思いました。

 2回の連続講演会で、約250名の方に聴講していだきました。少し残念だったのは、地元の方が少なかったことです。
 しかし、地元出身(旧榛名町)で、現在は東京や埼玉県等に在住しており、郷土の歴史講演会ということで、そのために帰ってきて熱心に聴講してくださった方がいたことには感銘しました。開催した意義があり大変うれしく思っていますし、来年も歴史講演会を企画したいと思っています。