歴史を活かしたまちづくり連続講演会第一回「室田長野氏と鷹留城を語る」(2014年11月8日 高崎市)

写真:歴史を活かしたまちづくり連続講演会のチラシ 写真:ウェルカムコンサート 写真:講演会「室田長野氏と鷹留城を語る」の様子1 写真:講演会「室田長野氏と鷹留城を語る」の様子2

 11月8日(土)高崎市下室田町の室田山長年寺にて、歴史を活かしたまちづくり連続講演会第一回「室田長野氏と鷹留城を語る」(主催:歴史を活かしたまちづくり講演会実行委員会)が開催され、実行委員として参加しました。講師は久保田順一先生(群馬県地域文化研究協議会副会長)です。この講演会では、旧榛名町の歴史的地域資源を活用し、地域住民が一体感も持ってまちづくりに取り込む気運を醸成することを目標としています。

 ウエルカムコンサートとして、オークラウロ・尺八の演奏がありました。オークラウロ・尺八は岸敏郎さん、ピアノ・歌は清水美子さん、案内人は岸純子さんです。
 オープニングは『宵待草』です。続いて、『オークラウロのためのアリア』『荒城の月』『初恋』(清水美子独唱)『手向』(尺八本曲)『津軽のふるさと』が演奏されました。
 古刹の長年寺本堂に荘厳な音色が響きます。特にオークラウロは、尺八のような太い低音に加え、フルートの透明感のある高音を持っており、素晴らしい音色でした。オークラウロは、尺八とフルートをもとに作られた楽器で、幻の縦笛と呼ばれています。

 講演の演題は「室田長野氏と鷹留城を語る」です。以下のような内容でした。

1.長年寺の位置として受連覚書をテーマに
 「天産受連覚書」(「長年寺文書」)は、さまざまな中世研究の書籍に紹介されている有名な文書史料です。今から約450年前の1567(永緑10)年の史料で、壮大な歴史的景観がうかがえます。以下が現代語訳です。
 この制札は辛酉の年(1561(永緑4)年)、霜月24日に当国に向かう小幡で晴信様が御主張の時、直ちに参上し申し出て受け取った制札である。数回箕輪城攻め軍勢が当地に進出した時は、私がひとりで寺に残留し、その御判のついた制札をささげ持って、諸軍勢に立ち向かい、問答すること7年に及んだ。直接羽に触れて戦ったことが一度、衣類を剥ぎ取られることが三度。1566(永緑9)年9月29日箕輪が落城したので、晴信様に面会し、当寺の寺領は前々の通りとすると、相違なく渡し下された。1567(永緑10)年丁卯3月7日 受連(花押)(長文なので短縮)

2.長野氏の成立と発展
 長野氏は、中世前期、長野郷の郷司・在庁管人・鎌倉幕府御家人として活躍しましたが、南北朝期の動向は不詳です。長野氏の再登場は、結城合戦(1440〜1)、享徳の乱(1454〜82)で、上州白旗一揆の構成員として活動しました。戦国期には、長野氏は室田と箕輪に分立します。室田長野氏は、長野乙業、長野業尚(尚業)、長野憲業です。箕輪長野氏は、長野方業、長野業政です。長野氏の最初の本城は鷹留城で、その後箕輪城を築きました。箕輪城に入った人物が嫡流となり、鷹留城主は傍流となったと考えられます。


写真:甲冑 写真:長年寺

3.室田と鷹留城
 「鎌倉公方足利持氏書状」(「榛名神社文書」)に「榛名寺領」として、初めて「室田」の名が出ます。室田は、烏川の渡河点で、信州街道と榛名参詣道が交差しており、室田宿と神山宿という二つの宿場町がありました。
 室田には大森神社があります。「上野国郡村誌」には、1424(応永31)年、里見氏が大森谷の日影社を金讃社境内に移して祭る、とあります。永禄年間(1558〜1570)に、鷹留城主長野氏が再建し、業氏の孫高権が入寺しました。近年は、吉祥寺(高崎市中室田町大久保、同寺の元の地)が注目されています。宝きょう印塔が15基、五輪塔が142基、板碑が5基あります。特に五輪塔約150基がまとめてあるという点について、他にない重要な土地だと言えます。

4.鷹留城の落城
 「甘利昌忠書状写」(浦野文書)などに、1563(永緑6)年の武田信玄と長野氏の攻防で鷹留城は落城したとあります。箕輪城の落城が、1563(永緑6)年だとするのは、鷹留城の印象が強かったことによる誤解の可能性があり、1566(永緑9)年だったのではないか、との指摘がありました。

 県内中世史研究の第一人者である久保田先生の講演会は素晴らしかったです。配布資料も充実していて、「天産受連覚書」(「長年寺文書」)や、「甘利昌忠書状写」(浦野文書)など、漢文の文書史料を現代語訳して説明されていたので、大変説得力がありました。また、「箕輪軍記」は、近世の江戸時代に作られたので、後から潤色されたものだということや、長年寺の長野氏の墓は近世に制作整備されていて、長野業固のみ室町期のものだということなど、新たな発見がありました。文書史料に基づいての講演は、県立歴史博物館の友の会講演と同じくらい中身の濃いものでした。

 1年くらい前から、地域づくり団体「榛名まちづくりネット」と里見の郷委員会、里見の郷フェスティバル実行委員会が共同で「歴史を活かしたまちづくり講演会実行委員会」を組織し準備してきました。隣の旧箕郷町のゑすびっく手作り甲冑(かっちゅう)の会の皆さんや、箕輪城語り部の会の皆さんが、協力・応援してくださったことに感謝しています。何といっても、長年寺の住職さんが全面的に協力してくださったことで、今回の講演会は成功したのではないかと思っています。また、「歴史を活かしたまちづくり講演会実行委員会」について、広報高崎の表紙に写真で紹介していただいたことにも感謝しています。

 歴史を活かしたまちづくり連続講演会第二回のテーマは「八幡荘の里見氏と山名氏」です。11月29日(土)に、高崎市上里見町の榛名・倉渕保健センターで開催します。講師は久保田順一先生で、定員は100名です。ぜひ聴講参加をお待ちしています。