アプローチ |
2001年8月11日 |
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私と松原は10日の夜学校に集合してから夜通し高速を運転して翌日の昼過ぎぐらいに高知に到着。そこからはOBの人達と一緒に出発予定地の十川というところまで移動。しかし水量が少ないため出発を江川崎からにすることにした。その日は十川に適当にキャンプしてお休み。 |
1日目 |
2001年8月12日 |
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朝、車で江川崎に移動し出発準備と車デポ等で、結局10時ごろ出発。いざ漕ぎ出すが、流れがほとんどない。漕がないと上流に戻されるほど流れがなかった。しかたなく、漕ぎながら進む。 |
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途中飽き出してきた頃、川に飛びこんだりして遊んでいる時に、岩村さんから借りたパドルを折ってしまうという事故。本当にすいません岩村様。一応予備パドルを持っていたので、それを使い進む。 |
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標準的なカヌーの1日で進む距離は20kmなので、江川崎の下流20kmの地点の川登大橋を本日のゴールとしていたのだが、昼飯を岩間沈下橋(*1)で食っているという状況から確実に着かないことが判明。そこでゴールを口屋内に変更。車は誰かがヒッチハイクでもして回収してもらおうということで、飯が終わって出発。やはり流れがないのでえっこらえっこら漕ぎながらなんとか口屋内に到着。たしかこの時だったと思うが、森田君が、五十畑さんがカメラを持っているのに気づかず水をばしゃばしゃかけ、五十畑さんが「まじ勘弁」って顔をしてたのが記憶に残っている。 |
(*1)沈下橋---洪水時に沈むよう作られた橋。洪水に無理に逆らわないための知恵。 |
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江川崎に車を取りに行くついでに買い出しをしようということで、私堀井と松原が江川崎に向かう、ここで事故が起こった。車が2台あるのだが、その片方がバンで軽油で動くということを知らずに、レギュラーを入れてしまう。もったいないが入れてしまったレギュラー40リットルは捨てて軽油を入れなおす。ここで、時間を食ってしまい私と松原は一緒にご飯を食べることが出来なかった。その後、飲みをみんなで行った。翌日は6時起きということを伝え1時半ごろ寝る。 |
2日目 |
2001年8月13日 |
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前日の教訓から今の四万十川があまり進まないとい事で16km下流の佐田沈下橋をゴールにし車をデポしてきてもらう。朝飯はスコールに遭い、橋の下で食い出発。 |
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この日は初めは強烈に雨が降っていて、とてもつらかった。しかしそのうち雨もやみ日差しが皮膚を焼かんばかりの暑さだった。途中の勝間沈下橋がそれなりの深さがあったので何人かが飛び込む(*2)。その後、昼飯を高瀬沈下橋で食べ出発。ちなみに昼飯はふりかけご飯とインスタントラーメンでした、三回とも。 |
(*2)堀井さんが「まっつん大好き−」と叫びながら飛び込んだとかなんとか。 |
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午後もおんなじようにだらだら進むが、私がゴールがもうすだろうと判断して川に飛び込んで漕ぐのをやめ30分ほど遊ぶが、30分たっても同じ所にいる、つまり流れがない。しょうがなくまた少し漕いでゴールに着く。 |
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車を取りに行ってもらいさぁ飯を作ろうという時に重大なことに気づく。なんと米を車に置きっぱなしにしてしまったのである。がっくりすると、追いうちをかけるようにスコール。あまりの仕打ちに、ふてね。 |
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2時間後車が帰ってきてからやっと飯作り開始、ちなみにマーボー春雨。飯が出来た頃には真っ暗だった。飯作りの間小村さんがびしょびしょにぬれた薪で焚き火をおこしてくれて、焚き火を囲んで飯を食べる。飯の間も遠くで雷がなっていた。また雨が降ってきたので、まらテントに入ってしばらく待つがやむ気配はない。 |
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そのうちに蚊に刺されまくりあまりに痒いので6km下流にある町までキンカンを買いに行くということになり私と松原が出発。ここでまた車が事故ってしまう。私堀井が田舎道になれてなく縁石の上を間違えて走ってしまう。そこで私は急ハンドルで抜け出そうとするがそのときタイヤをパンクさせてしまう。仕方なく保険会社に連絡したりして直してもらう。このあたりで私と松原のモチベーションは非常に下がってしまう。この時、この後行く熊野川に行く気がなくなった。とりあえず予備タイヤをつけるがすぐタイヤを交換すべきということで、翌日は松原はカヌーをせず修理に向かうとうことで就寝。 |
3日目 |
2001年8月14日 |
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朝飯の味噌汁ご飯を食べ、松原を除く9人で出発。今日は四万十川橋までの立った6km。流れのない川を下り、途中水遊びをし2時間ぐらいかけてやっとゴール。カヌーを乾かし片付け、温泉に向かう。温泉は四万十川の河口を望む高台にあるところでしばらく景色を眺めたあと、高知に向かって出発。 |
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高知で打ち上げをし、その後森田君の神社で泊まらせてもらおうということで、森田君にお願いしたのだが、森田君のご両親が晩御飯の用意をしてくれるというのである、しかももう用意したと言っているらしかった。そこでそのご好意を断るのは悪いかなぁと思い、お酒やつまみを買出しして、森田宅に伺おうと思ったのだが、森田宅に着いてみるとなんとビールがたくさん。うーん、こんなにしてもらってどうもありがとうございますと感謝しつつ、打ち上げをする。3日間の疲れがどっと出たのか畳の上で爆睡した(*3)。 |
(*3)堀井さんはリーダーにもかかわらず、OBが多かったためにメンバーで一番年少であり、東京女子大学の面々もいたので、相当疲れたらしい。 |
4日目 |
2001年8月15日 |
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アフターで熊野川に行くのを取りやめたため、車2台で東京に向かう。ただ、森田君は高知に残り、中野さんは観光でお別れ、蝉谷さんは広島の方に向かった。東女の人は新大阪で降りるということで、バンに女子大と小村さん五十畑さん松本さんが乗り、松原カーは私と松原の2人で別々に東京に向かう。松原カーは高知からずっと高速に乗ったまま夜部室に到着。バンは高速でパンクしたらしく大変そうでした。 |
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今回の川下りは川の流れがなかったり車が事故ったりスコールに見舞われたりと結構大変でした。皆さんにとっても助けられたので最後まで下れたのだと思います。 |
commented by Nakayama |