アプローチ |
2001年9月23日 |
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「けっこうおっきなゴルジュがあって、水の中を突き進むか巻くかでもめていたようでした。・・・(中略)・・・でもその中年パーティーは我々が「巻くのはやばそうですよ」と忠告したにもかかわらず、巻いて行ってしまいました。この選択が命取りにならなければいいのですが・・・」(「つばくら42号」63ページから) |
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さて、ときは2001年9月末、ちょうど前期のテスト期間が終わり、1週間の短い秋休みの最中。せっかくの休みとあって、槍ヶ岳北鎌尾根、1年会フリーワンで剣岳・立山、そしてこの巻機山米子沢と3つのフリーワンが出た。私はこの米子沢のナメを見たくて、このフリーワンを計画した。 メンバーは2年の私と同じく三井君。縦走パーティーに所属している彼は、この年一度も沢に登っていないとあって一回登ろうと考えていたので、お互いに行こうと計画した。ちなみにはじめて私が計画した沢でもある。 |
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上野から上越線を乗り継ぎ、六日町でバスに乗り、約9時間かけて巻機山登山口の桜坂駐車場に着いて、テントを張って寝た。 |
1日目 |
2001年9月24日 |
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3時起床。「米子沢入渓禁止」の看板を横目に5:40入渓。右岸沿いに歩き、滑ノ沢出合で一本。米子沢本流も滑ノ沢も見事なナメだ。滑ノ沢出合からすぐ、滑り落ちそうになった。大きい滝を右岸から巻く。おり口にはテープもあった。広い河原のような沢を登る。ところどころきれいなナメがあり、特に難しい滝もない。でも、寒い。沢沿いに下流側から凍るような寒さの風が吹いてくる。一本とる。振り返ると景色があった。 |
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また歩き始めると、沢は狭くなりゴルジュっぽいところに出た。右から枝沢が入っているところで、淵を腰くらいまで浸かっていかないと突破できない。水流はゆるいが、いかんせん寒い。濡れるのを恐れた私たちは巻くことにした。それが悪夢のはじまりだった。 左岸沿いに巻き道があったのでそれをたどる。だんだん登っていく。いったん、かん木が開いて沢が見おろせるところに出た。そこにはハーケンと捨て縄があった。ここから懸垂下降で下ったのだろうか。沢まで少々距離があるし、巻き道が続いているのでそっちをとった。沢から離れて1時間と少し。巻き道が途絶えてしまった。一本とる。どうしよう。しばらくトラバースして歩く。涸れそうな枝沢に出た。この沢を下るか、さらにトラバースするか、米子沢に戻るのをあきらめて稜線に出るか、少し迷う。この沢は急すぎて支点もとりづらいし、下りたくない。トラバースするにも傾斜が急なので危険だ。ということでこの枝沢を登る。 そこから2本。ヤブを越え、草地に出た。巻機山と米子頭山との鞍部が見える。ヤブをこいだので暑い。鞍部へ向かう枝沢沿いに行くか、草地を登り稜線と近くなったところで稜線に出るか、後者の方が短そうだったのでそうする。草地を離れ、またヤブに突っ込む。今度は激しい。まるで檻の中にいるようだ。知床のハイマツと違って木が堅いので踏むこともできない。・・・これは知床以上なのでは?そんな思いが頭をよぎった。これが上越のヤブか。しかも、三井君がバテた。沢にいた時は寒かったので、ほとんど水を飲まなかったからだろう。なんだか赤く美しいはずの紅葉すら腹立たしくなってくる。さっさとこのヤブから解放しろー!と思ったが、口には出さなかった。自分のせいだし。でも私は自分でも不思議なくらいバテていなかった。 下りぎみにササのところを選びながら2本かけてヤブを脱出。赤ペンキのある国境稜線に着いた。米子沢を離れてから約5時間。疲れた。この後は廃道を巻機山へたどれば着けるはずだ。だらだら登る。三井君はすっかりばてており、30分歩いては30分休むようなペースで登った。道はわずかにあるといった程度でササで覆われているところはほとんどない。なんとか登っていくと、日が傾きかけたころ、まともな道にぶつかった。 |
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道ははっきりしており、なだらかな道だ。稜線の東側をたどっており、越後三山、平ガ岳らしき山が見える。右下に目を移すと小さな池塘があった。三井君は「あそこまで下ってテントを張ろう」と主張した。私はたまっている水を飲むのが嫌だったし、道のあるところまで来たので巻機山避難小屋まで行きたかった。それで進んだ。そしたら薄暗くなったころ、今度は沢のように窪んだ草地の地形を東側に発見した。それに加えて、「サァー」という音が聞こえる。三井君は「沢の音だ」と主張した。私は「あれはササが風で揺れている音だし、こんな稜線近くに水はない」と言った。でも、バテてる人間ひっぱたいてあとで「あそこなら水があったのに」なんて言われても困るので、ひとっぱしり確認することにした。草地を滑るように、というかずっこけて滑走しながら見に行く。みかけより急なので落っこちないようにのぞいた。やっぱり水はない。また、登り返す。 |
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日はすでに落ちていた。なぜか三井君はバテから復活していた。涼しくなったからかもしれない。しかも「もう水なしでいいからテント張ろう」とかふてぶてしくなっていた。木道を踏みながら、道をたどった。このときは人跡があるだけでほっとした。なだらかな巻機山から六日町や浦佐の明かりが見えた。なんだか大変な目にあった私たちがいる一方で、町には日常生活を営んでいる人たちがいるのだろう。こんな見える位置にいるのにそれが不思議だった。 |
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巻機山避難小屋、18:40着。小屋の前には晩酌をしているおじさん達がいた。すでにできあがっている。「もうこの避難小屋まで来るのは3回目なんだけど、まだ山頂まで行ってないんだ」というおじさんの話を聞きながらカレーをつくった。なんでも1回目は小屋で飲み過ぎて二日酔いで登れず、2回目は朝起きたら雪が降っていたので下山したそうな。月曜日とあって小屋は空いていたので、小屋で寝かせてもらった。 |
1日目 |
2001年9月24日 |
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翌朝、巻機山を往復してから下った。小屋を出て靴ひもをしばっていると、下からヘリコプターが現われた。そして小屋の前のテント場に着陸した。出てきた人は「タケダさんという人がここに泊まっていませんか」と尋ねてきた。 私は名前まで知らないので「わかりません」と答えた。その後、下山するまでの間、あっちこっちをずっとヘリコプターが飛んでいたが、結局見つかったのかどうか知らない。 |
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巻機山の山頂からは越後三山や平ガ岳だけでなく、朝日岳、谷川岳も見えた。天気はとてもよかった。山頂はとてもなだらかで池塘があるくらいである。「しばらくこんなところに滞在したいなあ」と思った。下りはだらだらと長く、疲れた。結局のところ、楽しみにしていたナメを味わうことなく、トレ山級のつらさを味わって帰って来たのでした。 |
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